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経済

中外製薬が抗がん剤で「研究不正」

「カネまみれ」医学界との癒着は続く

2017年8月号公開

 製薬会社ノバルティスファーマの降圧剤の臨床研究データを改竄したとして、元社員が薬事法違反に問われた事件の判決は無罪となる一方、司法はデータの改竄を認定して道義的な姿勢が世に問われた。だが、これは氷山の一角に過ぎない。実は、製薬会社が巨額の資金を研究機関に提供し、見返りの形で新薬の効果を過剰に喧伝するお手盛りは、今も密かに横行しているのだ。その一端が発覚した。中外製薬の抗がん剤「カペシタビン」(商品名ゼローダ)の効果を巡る研究―。第三者の研究機関が独自に試験を遂行したように装い、実際の効果が不確定なまま、あたかも効果てきめんの如く謳って売りさばく。患者のことなど、しょせんは二の次。どこまでも深い癒着の闇を追跡する。
 いま医療現場は「エビデンスに基づく医療」が主流だ。エビデンスとは科学的根拠の意味で、医学専門誌に掲載された論文も有力な論拠となる。医師が治療方法を選択する際、患者にエビデンスを示さねばならない。逆に言えば、医学専門誌に新薬の効果が明記された時点で、その新薬は錦の御旗を得る。たとえ、その研究が、利益を最優先にする製薬会社のひも付きであったとしても、である。中外製薬のカペシタビンもしかり。

資金提供で明らかな利益相反

 その論文は、戸井雅和・京都大学教授(乳腺外科)を中心とした日韓の多施設共同研究グループの研究成果として、世界最高峰の医学誌である「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン(NEJM)」に載った。二〇〇七年二月から一二年七月までの間、陰性かつ標準的な手術前の化学療法で効果が不十分だったハイリスクの乳がん患者九百十人を登録。標準的な手術前の抗がん剤治療と外科手術を施した後、抗がん剤のカペシタビンを受ける患者と受けない患者に無作為に割り振った。
 結果は衝撃的だった。一五年三月の中間解析で、カペシタビン投与群のその後の病状が明らかに良好だった。一六年七月の最終解析では、カペシタビン投与により乳がんが進行・再発するリスクが三〇%、五年後までに死亡するリスクが四一%も低下したという。それまでカペシタビンは臨床試験で有効性を示し得なかった。一五年に米国、最近ではドイツで発表された臨床研究の結果はいずれも否定的。今回は再発防止ばかりか、生存期間まで延長したとされ、世界の製薬、医療関係者を驚嘆させた。今回の研究と他の研究はどこが違うのか。世界の研究者の間で侃々諤々の議論が始まっている。遠からず、その再現性を確認するために追試も実施されるに違いない。
 実は、研究者の中には「医師主導の臨床試験の仮面を被った製薬企業の販促活動」と癒着を指摘する声が少なくない。疑念の源は臨床試験の資金の提供元だ。NEJMの記載によれば、助成金を出しているのは一般社団法人「JBCRG」と特定非営利活動法人「先端医療研究支援機構」だ。JBCRGは前出の戸井氏が創設し、現在は大野真司・がん研究会有明病院乳腺センター長が代表理事。理事には乳がん専門の大物医師が名を連ねている。
 奇妙なことに、この団体の代表理事・常任理事六人のうち、五人が今回の論文の著者なのだ。日本人著者十二人全体で見ると、九人がJBCRG関係者で占めている。つまり、臨床試験を実施し論文を書いた研究者と資金提供元が事実上同一、シンクロしているのだ。しかし、論文には「JBCRG、先端医療研究支援機構は研究計画に関わっていない」とわざわざ明記している。名前を重ねれば、根っこが同じことは誰の目にも明らかであるにもかかわらず、なぜ、こんなことわり書きを付したのか。それは後ろめたさ、やましさの裏返しだろう。
 カペシタビンを販売する中外製薬は、製薬企業が医師への資金提供を開示し始めた一二年度からの四年間だけでも、JBCRGに一億円を寄付した。さらに先端医療研究支援機構にも、一二年度~一五年度までに二億円超を提供している。つまり、中外製薬から三億円以上の資金がJBCRGなどの第三者機関を介し、カペシタビンの臨床研究と研究者に流れ込んだことになる。一一年以前の寄付金は非開示のため、実際にはもっと巨費に膨らむはずだ。
 ところが、前述のとおり論文では中外とJBCRGおよび先端医療研究支援機構とは関係ないと強調している。事実を隠蔽するために、中外からの資金提供と書かず、無関係の資金で研究が実施されたかのように装ったのだ。こうした資金提供は、日本医学会や全国医学部長病院長会議が利益相反として報告するように勧告しているが、臨床研究の不正を防止する目的で今年四月に成立した臨床研究法では規制の対象に含まれていない。
 資金提供は研究機関だけではない。一二年度から一五年度に中外は、戸井氏が主宰する乳腺外科講座に総額一千六百万円の奨学寄付金を拠出し、講演料などの名目で戸井氏にも百五十万円を支払っている。
 さらに、編集部がこの研究のプロトコールを入手したところ、「プロパティ」の「作成者」の欄には「jp023622」と記されていた。「これは製薬企業の社員番号だ」とある製薬企業の社員は指摘する。JBCRGのオフィスは、東京都・日本橋に所在する。日本橋は大阪の道修町と並ぶ製薬企業の中心地で、中外もこの地に本社を置く。その距離は図らずも、双方の根深い関係を物語る。

論文が格好の「販促材料」に

 では中外にとって、この研究はいかなる位置づけになるのか。その前に中外の現状に触れたい。〇二年、中外は「戦略的アライアンス」に基づきスイスの製薬大手ロシュ社の傘下に入った。現在、六〇%の株をロシュが持つ。
 中外はロシュ製品を国内で順調に販売し、中外が開発したリウマチ治療薬「アクテムラ」を海外に売り出している。一四年には、武田薬品工業、アステラス製薬、第一三共に次ぐ国内第四位の製薬企業に成長し、一六年度の国内での売上高は四千七百二十九億円、前期比六・三%増である。低成長に悩む他社を尻目に「日本のトップ製薬企業になる」と鼻息は荒い。
 ただ、中外も安穏としてはいられない。ロシュの子会社の中外は、欧米や日本より市場が大きくなった中国、あるいは隣国の韓国にすら進出できない。海外は親会社のロシュが販売するからだ。日本は財政難で薬価が抑制されるため、製薬市場の成長は期待できない。武田薬品を筆頭に、国内メーカーも販路を海外に求めている。中外は日本でしか売れないハンディキャップを背負う。
 中外の中核は抗がん剤だ。一六年度の売り上げは二千三百六十五億円で、売上高の五〇%。国内の抗がん剤市場の二一%に及ぶ。だが成長は鈍化傾向だ。〇七年度から九~三八%の成長を続けた抗がん剤の売り上げも、一六年度は前期比で二・二%増にとどまった。
 最大の理由は中外の稼ぎ頭である大腸がん、肺がん、乳がんなどの治療薬「アバスチン」の苦戦に起因する。一五年度に売り上げ九百三十八億円だったのが一六年度には九百二十一億円に減少する頭打ちとなったからだ。二位の乳がん治療薬「ハーセプチン」も一六年度の売り上げは前期比四%増の三百四十一億円と伸び悩んでいる。
 今回の論文で効能を誇示したカペシタビンの一六年度の売り上げは百二十三億円で、抗がん剤領域で第四位の商品だ。市場規模は小さいものの前期比一一%の売り上げ増を示しており、これから成長が期待できる。それゆえ、論文を通じて「この勢いを後押ししようとしたのではないか」(他の製薬企業社員)との見方が強い。
 カペシタビンは乳がん以外にも、胃がんや大腸がんにも適応を持つとされる。このようながんは患者数が多く、中外が販売するアバスチンやハーセプチンなどの他の商品との相乗効果も期待できるという。
 つまり、日本市場に特化するしかない中外にとって「自社のマーケティングを考えた上での重要戦略商品」(同前)と目され、そのために論文が格好の販促材料になるというわけだ。

大鵬薬品の研究も同一人物

 しかし、中外製薬のカペシタビンには、ライバルが存在する。それは大鵬薬品工業が販売する類似薬「ティーエスワン」。大鵬は大塚ホールディングスの子会社で、抗がん剤を専門とする製薬企業だ。ティーエスワンは主力商品で一九九九年に国内で承認され、胃がんの標準治療薬となった。その後、大腸がんや乳がん、肺がんなどにも適応を拡大した。
 ただ大塚、大鵬ともに順風満帆とは言い難い。大塚の一六年度決算で売上高は前期比一六%減の一兆一千九百五十五億円、純利益は九%減の九百二十五億円だった。とりわけ医療関連事業は二三%の減収。一五年に米国での特許が切れた抗精神病薬「エビリファイ」の売り上げは一四年度の五千二百二十五億円から、一五年度には二千四百二十一億円に減じた。
 ティーエスワンの売り上げも、ピークの〇八年度の四百六十億円から一六年度には二百六十九億円へ減少。大塚は一五年度のレポートで「胃がんにおける競合の激化により減少した」と総括している。ここで言う競合とは、中外が販売するカペシタビンにほかならない。
 大塚は一三年九月に約八億八千六百万ドルで買収した米バイオベンチャー「アステックス」が有する抗がん剤の新薬候補の開発を進めており、それが市場に出るまで何とか凌がねばならない。それまでの間、ティーエスワンが主力の一つだ。中外から遅れること四年、大鵬は二〇一一年四月に医師主導臨床試験である「POTENT試験」を立ち上げて反攻に打って出た。HER2陰性の乳がん患者を対象に、抗女性ホルモン剤にティーエスワンを追加した場合の効果を評価した。この試験は現在進行中だが、なんと、こちらの主任研究者も中外のカペシタビンと同じ戸井氏である。
 もし、戸井氏が医学的な関心から臨床試験に踏み切ったのであれば、同じような薬を用いて、同じような臨床試験を並行して走らせるわけがない。こんなことをすれば、患者が二つの試験に分散されるため、臨床試験の進行が遅れる。医療界では臨床試験は「人体実験」であり、不要な試験は実施すべきではないと考えられている。臨床試験の体裁をとった販促活動と言われても申し開きはできまい。

患者の不利益と医療費の浪費

 ウェブ上に「POTENT試験 
試験概要」というPDFファイルが公開されているが、このファイルの「プロパティ」の「作成者」の欄には大鵬の女性営業社員の名前が記されている。製薬会社が丸抱えなのはカペシタビンと同じだが、異なるのは、この試験が厚生労働省の高度医療評価会議の承認を得ている点だ。
 カペシタビン、ティーエスワンとも、手術後の補助療法という使い方を厚労省は認めていない。もし、医師が処方すれば「適応外使用」になる。製薬企業による「適応外使用」の販促は厚労省が厳格に禁止している。冒頭の試験では「医師主導臨床試験」を前面に打ち出し、中外は知らぬ存ぜぬを押し通した。一方、大鵬は厚労省から「お墨付き」をもらい、混合診療の対象にした。これで堂々と臨床試験に協力できるようになった。
 戸井氏らが進めて、中外や大鵬が「サポート」する医師主導臨床研究は、日本の医療にどんな影響を与えるのか。中外のカペシタビンの研究論文には懐疑の念を抱く研究者が少なくない。がん専門病院に勤務する乳がんの専門家は「進行が遅い乳がんの臨床試験で、観察期間がわずか三年程度で全生存率に差がでるのは常識的にみて考えにくい」と首をひねる。データの改竄とまでは断定できないが、この試験では、医師も患者も自分がどちらのグループに割り振られているかわかる「オープン試験」と呼ばれ、有効成分を含まない錠剤(プラセボ)を使用していない。この場合、医師は試験薬群に割り振られた群を重点的にケアして、患者も薬の効果以外の理由で、状態が改善してしまうことがある。これは「プラセボ効果」といわれ、治療薬の過大評価の温床になる。
 こんなお手盛り的な手法はいつまでも続かないが、戸井氏らの研究の真贋がはっきりするまで長い時間を要する。その間、中外は「世界の一流医学誌に載ったエビデンス」と喧伝し、大鵬も負けまいと販促活動を強化していく。割を食うのは、有効性が不確定な抗がん剤を漫然と処方される患者たちだ。製薬企業が「お手盛り研究」に手を染める構造的欠陥を解消しなければ、患者の不利益と医療費の浪費が止まることはない。


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