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連載

追想 バテレンの世紀 連載65

信者の運命狂わす関ヶ原の戦い
渡辺 京二

2011年8月号

 ヴァリニャーノが第三回日本巡察のために長崎に上陸したのは、秀吉の死に先立つこと四〇日余りの一五九八年八月五日のことだった。彼はマルティンスに替る新司教、ポルトガル人のイエズス会士ルイス・セルケイラを伴っていた。こののちヴァリニャーノは一六〇三年一月に至るまで、主として長崎に駐留することになる。
 秀吉の死は長崎・有馬方面に逼塞するイエズス会に新たな希望を与えた。バテレン追放令は効力を喪うだろう。ヴァリニャーノは、朝鮮からの撤兵を監督するために博多へ来ていた石田三成のもとにロドリゲスを派遣して、次代を担うはずのこの男の意向を打診させた。三成は当分目立たぬようにするがよいと言いつつ、態度は十分好意的だった。
 ヴァリニャーノはオルガンティーノを京都に復帰させてよい頃だと判断した。都に戻ったオルガンティーノは信者たちから大歓迎されたが、これを知った長崎奉行寺沢広高はオルガンティーノの退去を要求し、従わねば報復すると脅すだけではなく、長崎の下僚に指示して、日本人信者の教会出入りを差し停めた。寺沢はこれまでもイエズス会に対して表裏つねなく、心労の種になっていたのである。{b・・・