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連載

本に遇う 連載153

妖精のようだった妻よ
河谷史夫

2012年9月号

 小津安二郎は死の床で癌の痛みに耐えかね、「痛みに指数はないのか」と毒づいたという。訴えたくとも「痛い」という言葉しかない。痛さを「きょうは一一二」とか「いま一〇〇」とか表せれば、少しは伝わるかと思ったのであろう。

 何事も数字化すれば理解できる気になる。どうやって計ったのか知らないが、小此木啓吾著『対象喪失』に米国の精神科医が作成した「ストレス値」表が載っていた。人生で遭遇する出来事の「変化に適応するためのストレス」というやつで、それによると一番高いのが「配偶者の死」一〇〇である。これに比べれば、「職場の上役とのトラブル」なんざ二九に過ぎず、屁みたいなものだ。ばかな上司と衝突しても気にすることはない。

 よく言われることに、夫を亡くした妻は速やかに立ち直るのに比べて、妻を亡くした夫はどうしようもなく、いつまでもめそめそ、うじうじとしていて、後家より男やもめのほうが余命も短い。

 通夜の席で「俺もすぐ行くから待っていてくれ」と棺に取りすがって泣くのがいる。早く後を追わせてやりたいくらいだ。あいにく生き延びた夫はどうしたら・・・