三万人のための情報誌 選択出版

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連載

美の艶話21

素朴でシンプルな愛撫
齊藤 貴子

2017年9月号

 およそ何もかもが上の空。
 玄関でカードキーをかざしたつもりがSuicaだったり、床から天井まで一面ガラス張りのピクチャーウィンドウにそれと気づかず激突したり……。どれもシラフでしでかしたことで、心ここにあらずとは正にこのこと。
 本人はいたって真面目で意識も澄み切っていて、日々まともに仕事もこなしている(つもりだ)から、どうしてそんなことになるのか腑に落ちない。しかし、周囲から笑われるより「大丈夫?」と真顔で心配されることが増えてくると、ああ、そうか、そうなのかと、さすがに気づく。
 器用に色んなことをしているようでその実、何も見ていないし、聞いていない。何事も惰性でどうにかなっているだけ。これは文字通り熱に浮かされた状態で、つまりは恋におちているのだと―。
 この恋というプリミティブでシンプルな情熱は、それを裡に抱え込んだ人間そのものを恐ろしく単純に、純粋にしてしまう。世の雑事が目の前を素通りして上の空になるのも、会いたい、寂しい、離れたくないと阿呆のように繰り返し、会えば会ったで猿のように毎度同じ行為に耽って飽・・・