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連載

をんな千一夜第7夜

金子文子 死刑判決で叫んだ「万歳!」
石井 妙子

2017年10月号

 今から九十四年前の大正十二年九月一日、大震災に見舞われた関東地方では、地震発生時から朝鮮民族の人々が数日にわたり、虐殺され続けた。
 余震と火災が続く極限状態のなかで「朝鮮人が日本人を襲い、暴動を起こそうとしている」との噂が流れ、官民が一体となっての壮絶な殺戮が繰り広げられたのだった。
 金子文子と朴烈の夫婦が九月三日に身柄を警察に拘束されたのも、こうした「朝鮮人狩り」から守るための保護拘束だと、当初、説明された。ふたりはともに無政府主義者(文子は虚無主義と主張)として活動していたが世間的には無名に近く、朝鮮生まれの朴烈は二十一歳。文子はまだ二十歳だった。
 その後、ふたりの拘束理由は、保護から治安警察法違反などにすり替えられていく。
 朝鮮人虐殺を正当化するためにも、不逞な朝鮮人が実際にいたという証拠を求めていたのか、あるいは流言を信じきっていたのか。警察は朝鮮人の活動家を片端から捕らえて回り、その網の中に、朴烈と文子、また、その仲間たちも入っていたのである。
 当初、朴は沈黙していたが拘束された仲間たちが取り調べで、「朴烈はテロを・・・