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社会・文化

九十四歳「現役ピアニスト」の音色

プレスラー「純粋なる音楽」の愛で方

2017年12月号

 東京の秋のコンサートシーズンもいよいよ佳境に入ろうという十月十六日、ステージ上にピアノが一台置かれただけの赤坂・サントリーホールは、不思議な緊張感に包まれていた。なにしろこれから演奏するピアニストは、御年九十三歳と十カ月なのだ。恐らく、このホールで最高齢の独奏リサイタルだろう。開演時間となり、大柄な女性秘書に寄り添われ、杖をついた小さな老人が姿を顕す。その瞬間、客席から安堵の大拍手。ブラボーの声まで飛んでいる。メナハム・プレスラーの登場である。
 秘書に椅子の位置を調整させピアノの前に座り、おもむろに鍵盤の蓋を開ける。独奏には異例の譜面台と譜めくりが用意され、客席が静まるのを待ち、手を鍵盤に触れると、ヘンデルの《シャコンヌ》が流れ出す。
 音は大きくない。粒立ちが完璧に揃っているわけでもない。テンポはゆっくりだ。だが、微妙なリズムの揺れや響きの濁りなどの雑味も含めた独特の音色の最弱音が、巨大な空間の隅々までしっかり伝わっていく。
 どんな微細な響きすら聴き洩らすまいと、一千数百人の耳が緊張する。一つひとつの音が全て意味を持ち、同時に全体の中にある音楽。ピ・・・