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連載

むかし女ありけり 連載117

飛躍
福本 邦雄

2010年5月号

つつましく香油かをれるぬばたまの夜のくろ髪をまくは吾が背子 今井邦子


 家出・上京し、同性の文学仲間と共同生活をしながら、邦子は焦り、不安を感じていた。男性社会の中で肩肘を張りながら記者として自活、ただ情熱だけを糧に世の荒波に乗り出したものの、一度しかない人生が自らの意思とは無関係に世間のしきたりの中に埋没してしまうのではないか、という不安や、生活に追われ思うように芸術の道に専念できない状況への悩みが当時の作品の中に浮き彫りにされている。
 もともと邦子は幼い時から両親の庇護を受けず祖母に育てられてきており、祖母亡き後、いやおうなく早い時期から精神的自立を迫られる環境にあった。そんな邦子が文学に生きる決意をし家を出たとき、世間の常識の殻を破り、自己に責任をもつ独立した一個の人格として、これからは自分の信じる価値観を尺度に人生を歩んでいく決心をした。
 世間の誤解や批判を恐れず、苦しみ、もがいてでも、文学の道だけをひた走ろう、という悲壮な決意である。
 上京の二年後には、早くも「迷走」と名づけた二九九首からなる短歌集を含めた・・・