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連載

追想 バテレンの世紀 連載57

禁令下での布教拡大
渡辺 京二

2010年12月号

 秀吉は領主層の入信には許可が必要とした。ジュスト右近を追放すると同時に、彼はキリシタン諸将に棄教を迫ったらしい。松田毅一は、このときほとんどすべてのキリシタン諸将が、表面上棄教を誓ったと推測している。
 たしかに、入信したばかりの大友義統が秀吉から棄教を命じられて、即座に応じたということはあった。小西行長も後述するように相当動揺したらしい。だが、有馬晴信や大村喜前にしろ、秀吉から直接棄教を迫られた形跡はない。また、黒田孝高もコエリュの『一五八八年度年報』によれば、「関白殿からキリシタンのことをとやかく言われ」ることはなかった。
 つまり、棄教を迫るといっても、秀吉には手心があったので、たとえば孝高に迫って拒まれた場合、体面上追放せざるをえず、有能な幕僚を失う結果となることを計算して、あえて彼には手を触れなかったものと思われる。
 

 追放令を受けて、コエリュは全国のイエズス会士に、平戸へ集結するように命じた。長崎はすでに秀吉によって収公される運命にあったからである。モンテイロの船は平戸にいる・・・