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経済

NTTの「ドコモ吸収作戦」が大詰めに

三浦社長留任でグループ支配強化

2011年6月号公開

 東日本大震災の混乱のさなか、NTTグループ総帥である三浦惺持ち株会社社長の続投が静かに決まった。「東日本大震災への対応を優先する」というのが表向きの理由だ。一方で稼ぎ頭のNTTドコモを取り込み、グループの結束を高める動きも着実にスタートしている。
「震災前の時点まで、持ち株会社社長交代は八割方あると見ていた。山田隆持ドコモ社長が最有力だったはずだ」。NTTドコモのある幹部は残念そうに肩を落とす。
 三浦社長は二〇〇七年に就任。今年六月末で就任丸四年を迎える。和田紀夫会長から二代事務系社長が続いたため、次は「技術系のドコモ山田」との期待がドコモ社内で高まっていたのだ。グループ全体の約七割の利益を稼ぎ出しながらも、常に「外様」の地位に甘んじていたドコモにとって、山田グループ社長の実現はまさに悲願。「山田氏もやる気だったはず」(同幹部)。
 ところが例年NTT社長人事が動き出す四月を前にして大震災が起きた。通信インフラの復旧記者会見を開いた三浦社長は、同日の会見で記者が社長交代の可能性を聞いてきたことに対し「こんなときに人事を聞いてくるやつがいるんだな」と高笑いした。そばにいた山田社長の顔はこわばっていたという。いわば、この「ドコモ・山田封じ」こそ、今回の三浦留任人事の真相を語っている。
 三浦氏の留任で、来年六月末には六十四歳になる山田氏の持ち株会社社長就任は事実上、消えた。創業社長の大星公二氏から四代目。ドコモから初の持ち株会社社長、というプロパーの期待は成就しなかった。
 それどころかいま、NTT内ではドコモを取り込むグループ一体化の動きが水面下で急速に進んでいる。
 

ドコモを顧客基盤ごと取り込む


 NTTグループのコンシューマー向け六サービスの料金徴収をすべて一本化する――。グループ内で「ワンビリング」と呼ばれるプロジェクトがひそかに進んでいる。
 六サービスの対象となるのはドコモの携帯、NTT東西のフレッツ光と加入電話、NTTコミュニケーションズが運営するプロバイダー「OCN」と長距離・国際電話だ。
 これまでは各社がばらばらに顧客に請求書を送り、料金を徴収していたが、これらを統合すると延べ顧客数は一億三千万件を超え、料金徴収の取扱高は年間八兆円弱と国内の事業会社としては最大規模となる。
 たとえばドコモ携帯とフレッツの両方を契約しているユーザーは、これまで別々に送られてきた請求書がひとつになり、同じ銀行口座から引き落とせるわけだ。これ自体は便利なサービスには違いないが、NTTにとってはもっと大きな意味を持つ。
 携帯と固定の料金徴収一本化はすでにKDDIやソフトバンクも実施しているが、NTTが統合すれば、まずその規模が違う。将来的には、現在NTTに対しては規制されている固定と携帯間の定額、無料サービスなどを実現させる足がかりにもなる。通信アナリストは、「NTTのグループ求心力強化の象徴的な動きだ」と解説する。
 前出のドコモ幹部は「ワンビリングは最も顧客基盤の大きいドコモが損をさせられる仕組みだ」と不満を隠さない。
 料金徴収の仕組みは複雑だ。各通信会社は利用者に日常的にサービスを提供する一方で、月に一回の料金徴収までの間は、利用者に対して未払い債権を持つ。こうした債権は資産の一部であり、ソフトバンクのように携帯電話端末の割賦債権を流動化して市場で資金調達する例さえある。回収周期が月一回の債権を担保に資金調達するのは現実的ではないが、それでも債権は資産の一部であることに変わりはない。
 今回のNTTのスキームでは、ドコモを含め各事業会社が保有する債権はすべてグループ金融会社であるNTTファイナンスに譲渡しなければならない。一方、徴収システムは最も顧客基盤が大きいドコモのシステムを利用することになっており、システム改編費はドコモが負担する。
 同幹部は「徳川家康が江戸城築城を各大名に命じ、巨大な資金拠出で各大名を弱体化させた。あれと同じ」と指摘する。「十年前のドコモだったらワンビリングなど拒否していただろう」(同幹部)。
 

ドコモへの落下傘人事も浮上


 持ち株会社方式によるグループ再編が実施されたのが一九九九年。その後しばらくは持ち株にとってドコモはグループで最も収益を稼ぐ企業でありながら、同時にNTTグループの遠心力の象徴のような企業だった。
 初代の大星社長は人目をはばかることなくNTTからの独立を主張。事業でも人事面でも持ち株会社の介入を牽制し続けた。二代目の立川敬二社長もこの路線を引き継ぎ、爆発的に拡大する携帯電話市場を味方に独立路線を突っ走った。
 ドコモだけではない。再編時に誕生したNTTコミュニケーションズも同様だ。六年間社長を務めた鈴木正誠初代社長は光回線事業や割安電話メニューでNTT東西地域会社とも競いあい、NTTグループ内では「鈴木商店」と呼ばれる独立王国を築いたのだ。
 だが立川、鈴木両氏は皮肉にも、その後の海外投資の失敗で合計二兆円の損失を出し、当時の宮津純一郎NTT社長の後継レースからは脱落、代わりに登場したのが第三の男、和田紀夫氏だった。和田氏はNTTに逆に求心力を働かせるグループ経営に舵を切る。二〇〇四年には立川ドコモ社長が後継として指名したプロパーの津田志郎副社長を覆し、NTT出身の中村維夫副社長を昇格させる。「角を矯めて牛を殺す」(ドコモ幹部)経営が始まったのである。
 こうしてドコモ取り込みは最終章に入った。今回の留任を受けて、三浦社長は長期政権化するのではないか、との見方がある。前任の和田社長は在任五年だったが、その前は民営化第三代社長の児島仁氏も、第四代の宮津氏も六年間在任した。三浦氏が長期政権に入り、その懐刀である鵜浦博夫副社長が次期ドコモ社長として送り込まれるとの見方もある。
 鵜浦氏は冷徹な能吏タイプ。人事畑が長く、NTTの事務系社長を多く輩出してきた労務畑とは一線を画す「半傍流」。だがその後、頭角を現し、現在は三浦氏の右腕として対外活動からサービスまでほぼすべてを仕切っているという。「ドコモを取り込んで、NTTグループの全サービスのフロントに」という戦略を練っているのも、ほかならぬ鵜浦氏だと言われる。
 山田氏の持ち株会社社長就任でグループ内での存在感誇示を夢見たドコモが、逆に、落下傘人事で「ドコモ取り込み」の急先鋒を社長にいただく。ドコモにとってはこれ以上の悪夢はないが、NTT三浦長期政権の下での「吸収作戦」は、ドコモの外堀を着実に埋めつつある。


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