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連載

追想 バテレンの世紀 連載74

長崎・マカオ交易の復活
渡辺 京二

2012年5月号

 メキシコ・日本間に通商を開こうとするロドリゴの試みには、スペイン人の間に根強い反対があった。サン・フランシスコ号の船長だったファン・デ・セビーコスは、ロドリゴが日本人に同号の五〇万ペソに当る積荷を強奪されたにもかかわらず、不利な状況の中で通商協定を結ぼうとしたと非難したし、マニラのスペイン人たちも、日本とメキシコの交易はマニラを荒廃させ、さらには目下のところ航海に不慣れな日本人が、メキシコとの往復で航海に習熟すれば、マニラは重大な脅威にさらされると抗議した。

 当時のヌエバ・エスパニア(メキシコ)副王はロドリゴの叔父であったので、日本商人を歓迎し、極力ロドリゴのために計るところがあったが、通商関係の樹立となれば本国政府の意向をきかねばならない。家康の使者とされたアロンソ・ムニョス神父は一六一一年末になってスペイン宮廷に現われ、家康との協定の受諾を国王に要請した。しかし、枢機会議は容易に動かなかった。フィリピンから反対意見が届いていたのだ。一六一二年に日本で禁教令が発せられると事はうやむやになり、ムニョスは宮廷で立往生した。

 一方マカオでは・・・