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連載

不運の名選手たち35

 吉田 稔(地方競馬騎手)「中央」に拒まれたジョッキー
中村計

2012年11月号

 まさかの不合格だった。

「ただただ、恥ずかしくて。立ちくらみというか、クラッときた」
 精神的な凌辱。それに近かった。

 吉田稔は、当時、小学六年生だった娘に遺書をしたためた。練炭自殺をはかろうとしたのだ。

 だが、離婚してから別々に暮らす娘からもらった自分の似顔絵などを段ボールに詰めているうちに、やはり「子どもにショックを与えたくない」と思いとどまった。

 吉田は一九八七年、十八歳のときに名古屋競馬で騎手としてデビューした。その七年後に初めて年間最多勝のタイトルを獲得。以降十年間は、その座を守った。もはや名古屋に敵はいなかった。

 地方競馬から中央競馬への道が大きく開けたのは、ちょうどその頃だった。

 日本には、競馬先進国にしては珍しく、二つの騎手免許が存在する。いわゆる「中央」と「地方」だ。簡単に言えば、管轄が違う。売り上げ、馬の資質、騎手待遇と、いずれも前者の方が格段に上だ。

 ひと昔前まで、地方騎手が中央のレースに・・・