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連載

追想 バテレンの世紀 連載81

日本船の南海進出全盛期
渡辺 京二

2012年12月号

 一六〇一年に家康は初めて、海外に渡航する日本船に朱印状を与えるようになり、それを得た船は朱印船と呼ばれる。それから一六三五年に日本人の海外渡航が禁じられるまで、合計三五六通の朱印状が発給され、日本船の南海進出は全盛時代を迎えた。

 むろんそれ以前に日本船が渡航しなかったのではない。すでに述べたように、フィリピンには一五七〇年代から渡航しており、一五九〇年代には千人の日本人がマニラに居住していた。コーチシナには早くも一五七七年に日本船が現れた記録があるし、カンボジアにも一五九〇年代に日本船の姿が見られる。シャムに現れたのもおなじく九〇年代のようである。

 一五九七年六月、フィレンツェ出身のカルレッティ父子が、商売のために長崎へ来たが、十カ月の滞在ののちマカオへ渡るのに利用したのは日本船だった。その年はマカオから定航船が来なかったので、マカオ行きの和船に乗ったわけだが、船長はポルトガル人を父とする長崎在住の混血児、船員はむろん日本人。彼らは航海中乗客のポルトガル商人たちと喧嘩になり、幸い同乗のイエズス会神父がなだめて事なきをえた。この船が遠洋航・・・