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社会・文化

自民党が謀る「土地改良利権」復活

「攻めの農業」論議は目くらまし

2013年7月号公開

 安倍晋三政権の決断によって、日本は今月末からいよいよ環太平洋経済連携協定(TPP)交渉に参加する。民主党の菅直人政権や野田佳彦政権が、その主な狙いを「輸出促進」や「アジアの成長を取り込む」と説明していたのに比べると、交渉参加の性格は大きく変質した。いまやTPPは、アベノミクスの「第三の矢」である成長戦略と絡められて、「規制緩和の起爆剤」として位置づけられている。

 確かに、民主党政権の説明はあまりにもお粗末だった。日本の輸出の鈍化は、輸出先の関税が高いためではなく、もっぱら「超円高」という為替相場に起因していた。TPP交渉には中国も韓国も参加しておらず、アジアの成長を取り込めるはずもなかった。

 これに対して、TPPを成長戦略の中核に据えるのは、一見もっともらしく新鮮に感じるが、「構造改革」と「利権の再調整」は表裏一体の関係だ。特に参院選を控えて政治的思惑が絡んだ場合、それは純粋な経済政策ではなくなる恐れが強い。

旧来の利権構造へ先祖返り

 その典型は農業分野だ。農林水産業の生産額は、国内総生産(GDP)比ですでに一・四%(二〇一〇年)まで縮小しており、もはや米国(一・一%=〇九年)と大差がない。極論すれば、日本の農業の構造改革はすでに終わっている。こんな小さな分野に「さらなる構造改革」を求めても、日本経済全体の成長に寄与するわけがない。

 にもかかわらず、農業分野は成長戦略の柱に据えられ、規模の拡大によって経営効率を高めるため、六月十四日に閣議決定された「日本再興戦略」には「農地中間管理機構」(仮称・農地集積バンク)なる組織の新設が盛り込まれた。耕作放棄地の所有者などから新機構が農地を借り上げて「準公有状態」にし、それらを整備・大区画化して、意欲のある農家に貸し付けるという枠組みだ。この「バンク」には生産性が劣位な農地が集まるから、これを整備するために、巨額の「土地改良事業」が必要になるという論法だ。この農業土木利権の復活こそ、安倍政権の真の狙いにほかならない。

 稲作が盛んなある県の農業協同組合(JA)中央会の幹部がこぼす。「自民党は『聖域なき関税撤廃を前提にする限りTPP交渉に参加しない』と公約したので、昨年末の総選挙で応援したのに、あっさりと裏切られた。組合員の怒りは激しい。けれども参院選ではやっぱり自民党公認候補を応援するしかない」。農協幹部が、組合員の怒りを抑えてでも自民党を支持するのは、なぜか。

 四年前の夏の総選挙で圧勝した民主党の小沢一郎幹事長(当時)は、自民党の有力支持団体だった全国土地改良事業団体連合会を干し上げるため、一〇年度の予算編成で、土地改良事業費を政権交代前の六千億円弱から二千億円規模に、六割強も削減した。

 昨年十二月の総選挙で政権を奪還した自民党にとって、この土地改良事業の「完全復活」は最優先課題だ。ただし民主党の瓦解をみた自民党は、小沢元幹事長のような乱暴なやり方はしない。今の自民党にとって、「TPPでだまされた」と怒る稲作農家を抑えつけるのは簡単だ。選挙の後で「農業土木の利権にありつけなくなるぞ」という無言の圧力をかけるだけで済むからだ。

 恐らく「農地集積バンク」の愚策は実現するだろう。規模拡大された水田の未来は三つ考えられる。理想的なシナリオでは、米価は大きく下落するが、それを経営の効率化と大増産で補い、低価格のコメを輸出し減反の必要性はなくなる―。しかしこの「攻めの農業」は限りなく「机上の空論」に近い。日本の稲作は用水の管理が伴い、農地の「質」は水系や日照によってばらつきが大きい。そのため、経営規模の拡大と効率化は必ずしも正比例しない。農業問題に詳しい生源寺眞一・名古屋大学大学院教授は「稲作のコスト低減は十ヘクタール程度で横ばいになる」と指摘している。

 より実現性が高いのは、きれいに整地されて魅力が高まった段階で住宅や商業施設用地として転用されるシナリオだ。農地の保有者は巨額の転用利益を得ることができ、「偽装農家」を大喜びさせることになる。どの農地を転用するかは農業委員会を核とした地元の政治力で決まる。政治家はその見返りに「票」を得る。これこそ旧・自民党政権下の利権構造への先祖返り以外の何物でもない。

 さらに、もう一つかなりの確度で起きるシナリオは、大規模化した担い手(通常は法人化している)が、米価の下落に耐えられず倒産することだ。域内には超高齢化し、農機具なども手放してしまった「元農家」しか残らず、新たな耕作者をみつけることは困難だ。百~二百ヘクタールに拡大した農地の引き受け手がみつからなければ、巨大な耕作放棄地が突如出現して、集落は「死に体」となるだろう。

「農地」に巨額の税金をぶち込む

 この「悪夢」を、読者は極端な悲観論だと思うだろうか。決してそうではない。このような現象は、いち早く経営規模の拡大が進んだ水田地域ではすでに表面化している。実際に、〇九年一月に富山県黒部市の農業有限会社「リーフ」が富山地裁に破産申請し、約七十ヘクタールの農地が突然管理できなくなったというケースが起こった。同社は、高齢化した農家の生産を受託する形で一九九〇年代から経営規模を急速に拡大したが、米価の下落と大型農機などへの投資が重荷になり経営が行き詰まった。周辺の農家が急遽委託農地を請け戻して約五十ヘクタールは耕作が継続されたが、残り約二十ヘクタールの農地は引き取り手がみつからなかった。現在は、高齢化した農家数人が無償で耕作して放棄地になるのを食い止めているというぎりぎりの段階だ。

 現実にいま農村で起きていることは、高齢化して引退する農家が「頼むから俺の田んぼを耕してくれ」という形で、近隣の比較的若い農家に生産を委託することで進む経営規模の拡大だ。消費パターンの変化によって、コメ余りが続き、現状でも四割の水田が減反の対象になっていることを考えると、無理に農地を拡大する理由などない。極論すれば、何もしなければ、生産性の高い優良農地が引き取られる形で規模拡大が進み、生産性が低い農地でコメ生産が減り、無理な減反の必要がなくなるだけのことだ。最優先課題は、担い手の確保であり農地の整備ではない。

 TPP交渉参加で「聖域(例外品目)を確保した」という安倍首相のレトリックにだまされた農業関係者は、前轍を踏まぬために、今一度首相の発言に耳を澄ましてその本質を見破る必要がある。彼は「美しいふるさとを守る」と言っているだけだ。そう。巨額の税金をぶち込むのは「農地」なのであって、「農家」ではない。ましてや日本の農業の未来を守るなどとは一言も言っていないのだ。


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