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社会・文化

謎だらけの名画「那智瀧図」

A・マルローが「神」を感じた

2013年8月号

 細長い絵絹の上に描かれた一筋の滝の絵。「那智瀧図」の名で知られているこの作品は、縦百六十・七センチ、横五十八・八センチ、一副一鋪の掛幅装で、いうまでもなく、紀伊半島南部、熊野・那智山の南壁に落ちる日本一の直瀑、那智滝を描いている。  根津美術館が所蔵するこの作品の由緒は、江戸時代末より以前にさかのぼらない。江戸の商人の手から、明治初年実業家の赤星鉄馬に渡った本図は、大正六(一九一七)年市場に出たことで初代の根津嘉一郎が入手し、没後、根津美術館に収蔵された。昭和六(一九三一)年に旧国宝、昭和二十六(一九五一)年に国宝の指定を受けている。この絵が、誰のために、誰によって、いつ描かれたのか。この絵の制作や保管に関する史料はいっさい見つかっておらず、すべて絵の中に答えを求めるしかない。  近代になって、この絵が脚光を浴びたきっかけは、昭和四十九(一九七四)年に来日したフランスの思想家・作家のアンドレ・マルローの言動であろう。根津美術館でこの絵を見たマルローは「自然の精神化としての神」を感じたといい、実際に那智滝を訪れ、日本人の自然観や美意識に関する言葉を残した。この絵に日本の崇高・・・