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連載

皇室の風 61

堅強は死の徒なり
岩井克己

2013年9月号

 枢密院の建物の改修工事が終わり、このほど皇宮警察本部庁舎としてよみがえった。

 桔梗門から皇居に入ってすぐの道路脇にある。国会議事堂を設計した大蔵省の建築技官矢橋賢吉が大正十年に建てた。鉄筋コンクリート二階建て。古代ギリシア様式の円柱をあしらい、後の議事堂のひな形となったとも言われるが、さほど見栄えのしない小さな建物である。

 この建物の「復活」には筆者なりの感慨がある。

 昭和六十一年に宮内庁担当記者として皇居に通うようになってから、ポツダム宣言受諾の「聖断」の場となった吹上御文庫付属防空壕と、この旧枢密院とは、いずれも昭和の戦前戦後を分かつ決定的場面の舞台であることを知った。ずっと放置され荒れるにまかされているのを複雑な思いで見てきたからだ。

 防空壕は昭和二十年八月十日未明、最高戦争指導会議(御前会議)でポツダム宣言受諾の可否が同数となった際、首相鈴木貫太郎が天皇の「聖断」を乞うた余りにも有名な舞台としてである。枢密院のほうは、明治二十一年の発足以来、天皇の最高諮問機関として幾多の国家的重要・・・