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連載

追想 バテレンの世紀 連載96

急変する島原半島
渡辺 京二

2014年3月号


 年々禁教が厳しく、宣教師の活動が困難になるなかで、例外というべき地域がふたつあった。島原半島と東北地方である。

 一六一四年有馬直純が日向に転封になったあと、島原半島は公領たること約二年を経て、一六一六年松倉重政に与えられた。松倉氏は大和国の豪族で、重政は家康に仕えて軍功を積み、島原四万三千石の主となった。人となり豪快淡泊、家臣を遇すること厚く、日常極めて質素だったといわれる。入部するや有馬氏の居城日野江城を破却し、新たに島原城を築いた。日野江周辺がキリシタンの巣窟であるのを嫌ったからだろう。だが居城の移転で、半島南部での宣教はより自由になった。

 重政は就封以来、領内の宣教師とキリシタンに対して、見て見ぬ振りの態度をとり続けた。一六一九年の書簡でコーロスは、重政が「キリスト教徒の百姓が逃亡しないようパードレたちを見逃している」と記した。重政が宣教師を黙認したのは、マカオとの貿易を望んだからだともいわれるが、コーロスの言うように領民への配慮が大きかったものと思われる。

『イエズス会一六二〇年度年報』は有馬地・・・