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連載

皇室の風 76

天皇のリゴリズム
岩井 克己

2014年12月号

 鎌倉節・元宮内庁長官が十月二十五日死去した。享年八十四。

 警察官僚として警視総監まで務めた鎌倉は平成六年四月、当時の藤森昭一長官の後任含みで宮内庁に次長として乗り込み、同八年一月から同十三年四月まで五年余り長官を務めた。

 内閣官房副長官から転じた藤森長官は、天皇代替わりを仕切り、平成五年には皇太子夫妻の結婚もプロデュースした。戦後五十年の節目となる平成七年の天皇・皇后の戦災地慰霊の旅を実現したのを潮に鎌倉にバトンを渡した。

 折しも平成の皇室は保守系雑誌のバッシングにさらされ皇后が倒れるなど、危機的状況にあった。昭和天皇の残像が根強く、現天皇・皇后の新しい皇室の姿に対する違和感が中国訪問をきっかけに噴出し、「日本を守る国民会議」系保守派の一部が真贋ないまぜの「皇室内部情報」をもとに批判を浴びせていた。皇后が倒れたことでバッシングこそやんだものの、宮内庁組織を引き締め、平成の皇室の態勢立て直しが必要だった。

 後任に鎌倉を選んだ理由を問うと、藤森は「現場の下積みの部下への配慮、組織の士気高揚ので・・・