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連載

追想 バテレンの世紀 連載108

島原城攻防戦と天草四郎
渡辺 京二

2015年3月号

 深江村へ進入した討伐隊は足軽を加え五百人だった。待ち構える一揆勢と鉄砲を撃ち合って、激しい戦闘になったが、佐野が足軽たちにあまり戦意がなかったと書いているのは注目すべきだろう。それでも、さすがに戦闘専業者たる侍どもは勇戦し、結局二度の合戦に打ち勝って、首級を五〇挙げたとも、八五取ったとも記録されている。討伐隊側の死者は数名にすぎなかった。

 だが、岡本新兵衛は島原城へ引き揚げを命じた。討伐隊は本来なら有馬まで進んで、一揆の本拠をくつがえすべきだった。しかし深江で一戦してみて、これ以上深入りすることに、岡本は危険を感じたのだ。『島原藩日帳』の言うところでは、兵は「草臥」ていた。このままとどまって逆襲されれば、折角の勝利がふいになりかねない。

 岡本の判断は正しかった。討伐隊が城中に引き揚げると、増強された一揆勢はそのあとを追いすがるようにして、その日のうちに島原町に進入し、まず寺院に火をかけ、町並みを焼き払って城攻めにかかったのである。深江での敗報が布津村に届くと、仇をとらんとすぐさま村々に触れ知らせ、人数を催して岡本隊を追撃したと諸書は説く・・・