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連載

皇室の風80

二君に事えるということ
岩井 克己

2015年4月号

『史記』に「忠臣は二君に事えず」というのがある。宮中でも、明治初年以来の二十二代の侍従長のうち二君に仕えたのは、昭和最後の侍従長で平成八年まで務めた山本悟ただ一人だ。明治最後の第六代徳大寺実則も大正最後の第十代徳川達孝も天皇を看取るとすぐ退任している。

 毎年四月を迎えると、駆け出し記者だった昭和六十三年の山本の侍従長就任の頃を思い出し、二君に仕える難しさを改めて思う。

 昭和天皇の晩年、昭和十一年から半世紀余り仕えた徳川義寛侍従長を退任させ、オクの経験のない宮内庁次長の山本を後任に充てた人事は、各方面から意外と受け止められた。

 昭和天皇は前年秋に消化器のがんが見つかり手術を受けて療養に入っていた。①戦後初の天皇代替わりの修羅場は、高齢の富田朝彦長官、徳川侍従長には荷が重い②官邸で密かに準備を重ねてきた藤森昭一官房副長官を次期長官含みで次長に送り込む③次長の山本は十年間にわたり宮内庁事務を仕切り国会答弁にも立った法制通なのでオクを統率させる―こんな“玉突き”だったようだ。

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