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連載

追想 バテレンの世紀 連載117

一揆を起こした農民の真意
渡辺京二

2015年12月号

 この矢文は日付を欠いているが、松平信綱が一月一〇日、矢文で城中に「天下に恨ありや、長門(松倉勝家)に恨ありや」と問うたのに対する、城中からの答のひとつであることは疑いない。たどたどしい文体で、正確な読解には専門家の合議が必要なほどだが、松倉の苛政への恨みを執拗に述べ立てているのは確かだ。

 恨みはまず、先代重政が入部以来厳しい検地を行ない、重税を課して家財衣装の類まで剝ぎとり、未進の者に縄をかけ打擲したことから始まっている。四万石のところに一二万石の「所務」をかけられたというのは、重政が江戸城普請の際、朱印高四万石の身で一〇万石の役負担を申し出たことを言うのだろう。

 その後勝家の代になって重税も少しは緩むかと思ったが、一向変らぬ厳しい取り立てなので、この数年の日でりによる不作に疲れ果て、江戸まで代表を登らせて訴えたが何の甲斐もなかったと矢文は言う。この江戸藩邸への訴えというのは、他資料には出てこぬところである。

 この矢文の筆者の心理はなかなか複雑で、このあと一変して、往年のキリシタン禁教令発布の際、重政が「御内の者・・・