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連載

美の艶話(新連載)

画家と追憶の女神
齊藤 貴子

2016年1月号

 あまり大きな声ではいえないけれど、芸術研究において、作者とモデルの関係に踏み込んだ議論は一種のタブーだ。モデルが具体的にどこの誰で、作者とどういう関係にあったかは、作品の芸術的価値とは別次元の問題で、興味本位の詮索でしかないと考えるからである。

 しかし、わたしたちが本来知りたくてたまらないのは、むしろそうした生々しい事実のほうかもしれず、実際問題、モデルとの関係抜きに語ることのできない芸術家はごまんといる。そのひとりが、十八世紀のイギリスで活躍したジョージ・ロムニーという肖像画家であり、実のところ、彼の成功はたったひとりの女性に負うところが大きい。

 ロムニーはエマ・ハミルトンという女性を自らの女神(ミューズ)と思い定め、約十年の間に六十点以上もの肖像画を描き続けた。エマはその美貌もさることながら、ナポレオンを破った近代イギリスの英雄ネルソン提督との恋で歴史に名を残しており、彼女の伝記や肖像画はイギリスでは大変人気がある。しかし生前のロムニーは、せっかく描いたエマの肖像画の多くをなかなか手放そうとせず、やむなくいったん売却しても後に自ら買・・・