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社会・文化

「ニナガワ」亡き後のお寒い演劇界

「後継者不在」を嘆くホリプロと劇場

2016年6月号

「文化勲章受章者の葬儀としてはいささかミーハーだった」
 五月十二日に肺炎による多臓器不全で亡くなった蜷川幸雄(享年八十歳)。四日後に東京港区の青山葬儀所で営まれた葬儀に参列した劇評家はこう語った。
「世界のニナガワ」が演劇界、芸能界に残した功績についてはすでに多くの報道が溢れている。本稿ではビジネスという切り口から蜷川を分析し、彼を失った演劇界が抱える課題を浮き彫りにする。
 蜷川の葬儀は「合同葬」で営まれた。蜷川家のほか、芸術監督を務めていたさいたま芸術劇場(埼玉県芸術文化振興財団)と東急文化村、芸能事務所のホリプロと舞プロモーションが連名で主催した。五人の俳優が弔辞を読んだが、蜷川と古くから親交のあった平幹二朗、大竹しのぶは当然のこととして、残り三人のうち吉田鋼太郎、藤原竜也という二人がホリプロの所属だった。前出劇評家が語る。
「生前の蜷川さんの舞台を実質的に取り仕切ってきたのはホリプロ。葬儀委員長は埼玉県知事が務めていたが、まるで『ホリプロ葬』だ」
ホリプロが作った「ドル箱」
 日本国・・・