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連載

追想 バテレンの世紀  連載123

尽きない幕府の憂慮
渡辺 京二

2016年6月号

 一六四二年と翌四三年の二度にわたって、イエズス会は最後の日本宣教団を送った。最後というのは、結果としてそうなったのであって、送りこむ側も送りこまれる側も、これが最後と思ったわけではない。これはアントニオ・ルビノという一人のイタリア人神父の強い意志から出たことで、イエズス会自体は本部も出先も、日本へ無理して宣教師を送ることには消極的だった。
 この宣教団の基本史料は、パジェスの『日本切支丹宗門史』と、『長崎オランダ商館の日記』である。『バタヴィア城日誌』の記載は蘭館日記の引き写しにすぎない。ただ、『バタヴィア城日誌』の注釈者が「情報も不正確、錯誤があって、不明な点が多い」と述べているのはその通りだ。
 一六三九年、ルビノは日本管区巡察使に就任した。巡察使になったからといって、別に日本へ行く必要はなく、前任者がマカオで死んだので、そのあとを継いだだけである。だが彼はぜひとも日本へ潜入する覚悟だった。パジェスによると彼には背教者フェレイラの償いをするという、強い動機があったとのことだ。
 ルビノはフランシスコ・マルケス司祭を伴ってマニラへ渡った。マルケスはポル・・・