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連載

誤審のスポーツ史 19

〇・〇一秒を変えた「神の手」
中村 計

2016年7月号

 公式の競泳用五十メートルプールは、実際は五十メートルではない。五十メートル二センチだ。
 選手が到達したことを感知する厚さ一センチのタッチ板(自動計時装置)がプールの両端に取り付けられているからだ。この二センチが、ときに「誤審」というドラマを演出する。
 二〇〇八年の北京五輪大会九日目―。水泳競技の注目は、「水の怪物」こと二十三歳のマイケル・フェルプス(米国)が男子百メートルのバタフライで大会史上タイとなる七冠を達成するか否かに絞られていた。フェルプスは、身長百九十三センチ、足のサイズ三十五センチ、両手を広げたときの長さは二メートルを超えるという恵まれた体を生かし、会場となった「水立方」(国家水泳センター)で一人だけ異次元の泳ぎを見せていた。
 だが、百メートルバタフライは強力なライバルが出そろったことや、蓄積された疲労を考えると、フェルプスにとって最大の山場になるだろうと予想されていた。優勝候補の最右翼は、準決勝で余力を残した泳ぎでフェルプスの世界記録を更新したセルビアのミロラド・カビッチだった。
 前半型のカビッチは、スタートから飛び出した・・・