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連載

追想  バテレンの世紀 連載125

カトリックを受容した素地
渡辺 京二

2016年8月号

 おなじ西洋とのコンタクトと言っても、ファーストとセカンドの場合、コンタクトの相手がかなり異なっていたことを忘れてはならない。一六・七世紀のコンタクトの相手はポルトガル・スペインであった。むろん英国もオランダも日本市場に参入したが、前者は早々と撤退し、後者の影響はむしろ「鎖国」後において顕著だった。
 すなわちファースト・コンタクトの相手は南欧カトリック諸国であって、彼らは北欧諸国の宗教改革に対する「対抗宗教改革」の一環として、ローマ教皇の付与した布教保護権のもとに海外布教に乗り出したのである。井手勝美は言う。「十六世紀の西洋社会は、十七世紀末からの科学革命と精神革命を経て、宗教が文明推進の主導力を失った世俗化の時代と異なり、宗教が文明の要としての統合的機能をなお保持していた時代だった」。
 一方、一六世紀から一七世紀半ばにかけての日本も、一向一揆の例をまつまでもなく、宗教的熱情がなお生きている時代だった。信長に表れているような世俗化の動向は、こののち江戸時代を支配する流れとなるが、戦乱と下剋上のもたらすアナーキーがやっと終熄したこの時期にあっては、現世を超える救済・・・