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連載

皇室の風 98

「朕は辞職する能はず」
岩井克己

2016年10月号

「朕は辞職する能はず」
明治三十四年五月、辞意を示す伊藤博文に対し、明治天皇はこう言ったという。
『先帝と居家処世』(長井實、田中英一郎共編、大正元年、九経社刊)は次のように伝える。
「明治三十一年山懸内閣倒れ、故伊藤公、大命を奉じて内閣を組織したるも、遂に破綻を生じ、三十四年五月二日、闕下に躬候し、辞表を捧呈して骸骨を乞ひ、越えて十日漸く御聴許ありたるが、当時先帝親しく公に宣ふらく『卿等は辞表を出せば済むも、朕は辞表は出されず』のありしかば、公頗る恐懼したりといふ。四十五年間君臨の御苦心如何許りなりけむ、此御一語無限の意味あり、恐懼するもの豈に独り公のみならむや」
 伊藤が総理の職を辞するのは実に四回目だった。初代首相としての第一次内閣で帝国憲法と皇室典範の起草を終え、初代枢密院議長に転じた明治二十一年。第二次内閣で日清戦争後の三国干渉により遼東半島放棄を決めた後の明治二十九年。第三次内閣で政党の結成を山縣有朋に反対された明治三十一年。そして第四次内閣でも北清事変の軍事費の財政措置をめぐる閣内対立で、再三の慰留も拒み投げ出したのである。
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