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連載

をんな千一夜2

横浜富貴楼のお倉
明治の元勲の夜を支えた女将
石井妙子

2017年5月号

 人間、何をもって「偉い」とするかは意見のわかれるところであるし、それぞれの思惑も交差するので、なかなか仲間内でも答えが一致することは少ないものだ。ところが、明治の御世、元勲たちが口を揃えて「偉い」と褒め上げた女があった。
 教育者か、それとも貧苦にあえぐ人々に尽くし抜いたマザー・テレサのような聖女か、といえば、さにあらず。女郎上がりの待合の女将で店は横浜にあり、「富貴楼のお倉」といえば、大変な権勢であったらしい。
 女流作家の長谷川時雨は、「明治の功臣の誰れ彼れを友達づきあいにして、種々な画策に預ったお倉という女傑」と『明治美人伝』の中に書いている。
 お倉を慕い集まったのは、伊藤博文、井上馨、陸奥宗光、大久保利通、山縣有朋といった勲臣たちから、劇聖といわれた九代目團十郎や五代目菊五郎に至るまで実に幅広い。それだけ奥行のある女だったのだろう。
 牧野伸顕の『回顧録』では、もう少し具体的にお倉の人となりが綴られている。牧野は父・大久保利通と親子二代の付き合いであった。
「おくらが何か一言いえば新橋あたりの花柳界ではどんなことでも通るとい・・・