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連載

美食文学逍遥15

明治の庶民の「牛肉への熱狂」
福田育弘

2018年3月号

 具材によって自由自在に変化する日本の鍋料理だが、やはりなんといってもすき焼きが一番という人も多いだろう。
 こうした嗜好は歴史的にみても正当化される。なぜなら、日本に鍋料理を広めたのは、東京発信の牛肉鍋だったからだ。
 しかも、この鍋料理のイメージを決定づけたのが、鍋物文学ともいえる文学作品だったのだから、美食文学の影響力はけっしてあなどれない。
 仮名垣魯文が『安愚楽鍋』を刊行し、評判になったのは明治四年、徳川幕府が新政府に代わって間もないころだった。
「開塲」と題された導入の情景描写からすでに新しい時代の解放感があふれている。
「往来絶ざる浅草通行、御蔵前に定鋪の、名も高旗の牛肉鍋、十人よれば十種の注文、昨晩もてたる味噌を挙、たれをきかせる朝帰り、生のかはりの粋がり連中、(……)、士農工商老若男女、賢愚貧富おしなべて、牛鍋食はねば開化不進奴(……)土産に買ふも最多き、人の出入の賑はしく(……)銚子のおかはり、お会計、お帰ンなさい、入ラッしゃい」{b・・・