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連載

美の艶話 第48話

菫より椿を選ぶ幼妻
齊藤 貴子

2019年12月号

 誰にだって過去はある。一口に過去といっても、栄えある武勇伝めいたものから、墓場まで持っていくレベルの秘密まで様々だろうが、問題はその落としどころ。全てを綺麗な思い出に……というのは所詮できるようでできない話であって、何かの必然として生じた過ち、何をどう足掻いても不可避だった別れは、ただの綺麗な思い出とはなりえない。後から振り返れば一見美しく、ゆえに慕わしく、やけに懐かしく思えたとしても、追憶とは常に甘い痛みを伴い、時にそうとはわからぬほどの優しい毒を含むもの。ちょうど、この一枚の絵のように。
 実際、本作はある女優の「過去」そのもの。十九世紀末イギリス演劇界のスターだったエレン・テリーの十七歳頃の姿であり、描いたのは当時の夫。ヨーロッパ世紀末象徴主義を代表する画家だった、ジョージ・フレデリック・ワッツ四十六歳である。
 当時の、というのはもちろん、二人が後に別れたからであって、それは結婚からわずか十カ月後のこと。理由も容易に想像がつくように、約三十歳の年齢差が災いしてのことだ。
 そもそも、ワッツが役者一家の娘テリーと結婚しよ・・・