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連載

皇室の風 148

相聞歌
岩井 克己

2020年12月号

 南方熊楠と昭和天皇が和歌山県田辺湾沖の神島の自然を介して詠み交わした和歌について、社会学者鶴見和子は天皇・皇后(現上皇夫妻)を前に「あれは相聞歌でした」と熱っぽく語った。
 耳を傾けていた天皇が「水俣はどうですか」と質問したので、鶴見は「びっくりした」という。
 二〇〇四(平成十六)年八月二十二日、京都行幸啓の際に宿舎の大宮御所に招かれたときのことだ。
 鶴見は昭和五十年代に七、八年間にわたる水俣病多発地域の現地調査に携わった。湯堂、茂道、月浦、出月で患者・家族ら数十人から個人史まで聞き取る徹底した調査だった。
 地元の作家石牟礼道子の願いを受けて現地入りした「不知火海総合学術調査団」は、民衆史家色川大吉を団長に、石田雄、菊地昌典、最首悟、日高六郎、市井三郎、内山秀夫、原田正純といった顔ぶれ。鶴見は副団長的存在。当初は社会学のフィールドワークの一環という程度の気持ちだった。
 しかし、現地で公害病の惨酷な実情、患者団体と地域社会の分断といった余りにも厳しい現実にぶつかり、調査団内に撤収論まで出るなど動揺が走った。断固として団員を叱咤激・・・