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連載

皇室の風 150

いづれか歌をよまざりける
岩井 克己

2021年2月号

 今は昔、ある皇族妃と食事したとき「皇室にお嫁入りして、何が一番苦労でしたか」と尋ねてみたことがある。
「やはり和歌でしたね。歌会始のほかに『月次』といって、毎月必ず歌を詠んで天皇陛下にお出しするんです。心得のない者には慣れるまで本当に大変でした」
 思い出しても身悶えするといった風情だった。
 自らを省みて、頭でひねり出そうとしても苦吟するばかり。げに作歌は難しい。よほどの心事と手馴らしが必要なのだと、皇室の日常に織り込まれた伝統継承と習練の仕組みに敬意を覚えたものだ。
 社会学者鶴見和子は一九九五年十二月二十四日に脳出血で倒れた。一命はとりとめたものの半身不随となって、研究・執筆活動を事実上断念せざるをえなかった。車いすで悶々とする療養の日々。そのとき、あふれるように歌が湧き出てきたという。
 若い頃に佐佐木信綱の手ほどきを受けたものの、ずっと遠ざかり気味だった。「死」を意識したとき、それまで何ものかに生かされてきた自らを思い、自然の森羅万象、生きとし生けるものへの愛おしさがつのったという。
 現場主義の社会学のフィールド・・・

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