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連載

大往生考 第26話

もしも我が子に先立たれたら
佐野 海那斗

2022年2月号

「長女が脳幹出血で亡くなりました」
 昨夏の外来診療中、七十歳代の女性患者が声を絞り出し、泣き崩れた。私はかける言葉が見つからなかった。
 この患者が子どもを失うのは、これが初めてではなかった。その一年前にも長男が急死していたのだ。職場で「気持ちが悪い」と訴え、そのまま心肺停止となった。解剖の結果、急性心筋梗塞と診断された。二人とも、まだ五十歳代前半だった。会社の健康診断で軽度の高血圧は指摘されていたようだ。とはいえ、医療機関を受診するほどではなく、降圧剤も服用していなかった。
 母親である患者の方は、十年ほど前から、高血圧・高脂血症の治療のため、私の外来に通っていた。温厚な人柄で、私は患者と気が合った。外来診療の際には、彼女の来し方や家族の様子について聞くこともあった。秋田県の生まれ。高校卒業とともに上京し、町工場に就職した。職場で知りあった男性と結婚し、夫の定年後、東京近郊で小さな飲み屋を夫婦で始めた。その夫も五年前に大腸がんで亡くなり、今は彼女一人で店を切り盛りしている。私も何度かお邪魔したことがあるが、家庭的な雰囲気が人気で、常連が集う店だった。{・・・