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連載

皇室の風 第168話

天皇家の執事Ⅵ
岩井 克己

2022年8月号

「皇室は国民が守ってくれる」
 生前、高松宮や寛仁親王から何度か聞かされた。「過ぎた警備警衛は逆効果だ」と。高輪の高松宮邸の正門は日中ずっと開け放しで、誰もが自由に出入りできた。
 虎ノ門事件(大正十二年)で、杖に仕込んだ散弾銃で自らを狙撃した難波大助について昭和天皇(当時摂政宮)が日記に記していたと聞いたことがある。
 最愛の母を亡くし、山口県の生家(父は衆議院議員)から出奔した難波は早稲田高等学院を中退し貧窮して日雇い労務者となった。貧民街の惨状や厳しい思想弾圧の世相に、皇室は支配階級が無産階級を踏みにじる道具と化していると信じ犯行に及んだ。そんな同世代の難波の境遇に摂政宮は「元は忠良な人だった」と同情の念を記し、「改善すべきは国民の窮乏」として騎兵の増強には内心反対で、恩赦も念頭に置く記述もあったという。しかし結局、難波は大逆罪で処刑された。
 警備・警護のなか、天皇・皇族は「守ってくれる」国民との距離感に悩む。渡邉允元侍従長の証言でも、国民の中へ分け入ろうと腐心した「平成流」の姿が様々に語られた。

       ◇{・・・

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