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連載

本に遇う 第279話

ン・ダスケ・マイネ
河谷 史夫

2023年3月号

 梅から桜への季節である。
 太宰治の『ダス・ゲマイネ』は、フランス抒情詩の講義を聞き終えた帝大生の「私」が、「梅は咲いたか桜はまだかいな」と「かかる無学な文句」を口ずさみながら立ち寄った上野公園の甘酒屋で、奇態な風体の音楽学校八年生と出会うところから始まる。作家生来の自恃と劣等感が散らばる作品にかぶれた昔が懐かしいが、なぜこんな題名なのかと不思議だった。
「ダス・ゲマイネ」とはドイツ語で通俗という意味だから、梅が咲いて、それから桜が咲くのは通俗だと言いたかったのかも知れない。熱海では二月、早咲きの熱海桜が咲いて、桜が散るころ梅林の梅が開きだすとテレビが伝えていた。すると熱海の地は反俗的か。そう思うとおかしかった。
 太宰身中の虫の自殺願望はこの短編にも横溢していて、「ひとはなぜ生きてゐなければいけないのか、そのわけが私には呑みこめなかつた」とか「君が自殺をしたなら、僕は、ああ僕へのいやがらせだな、とひそかに自惚れる。それでよかつたら死にたまへ」といった文句が嵌め込まれてある。思わせ振りに仄めかす癖は、最後の『グッド・バイ』まで直らない。
 太宰・・・

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