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連載

本に遇う 第281話

亡き人のための挨拶
河谷 史夫

2023年5月号

 文人久保田万太郎が画人梅原龍三郎邸で供された赤貝の鮨をのどに詰まらせて頓死したのは、一九六三年五月六日であった。春秋七十三。石川淳は「わが万太郎」と題して哀惜の念を表した。
「すききらひを押し通すにも、油断はいのちとりのやうである。好むものではないすしの、ふだん手を出さうともしないなんとか貝なんぞと、いかにその場の行がかりとはいへ、ウソにも附合はうといふ愛嬌を見せることはなかつた。いいえ、いただきません、きらひです。それで立派に通つたものを、うかうかと……このひとにして、魔がさしたといふのだらう。ぽつくり、じつにあつけなく、わたしにとつてはただ一人の同郷浅草の先輩、久保田万太郎は地上から消えた。どうしたんです、久保田さん」
 よく知る故人生前の風儀と嗜好に触れ、何より「ことばの目きき」の真面目を「道人」と拝し、見当違いのレッテル貼りをした世間の誤解を難じた文章には、畏敬やまない先進を突如失った後進の切々たる悲しみがあふれている。
 もとより文章は丸谷才一に言わせると「明治維新以来最高」、そして弔詞の名手である。「無頼派」の友人・・・