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連載

皇室の風 第181話

「賢所御拝、重大に思召さる」
岩井 克己

2023年10月号

賢所建築は江戸時代より前の春興殿と呼ばれたころから内々陣、内陣、外陣の三陣構造で、天皇が江戸城に遷ってから造られた明治の神祇官神殿、また皇居西の丸火災のあと赤坂に建てられた仮賢所も三陣構造だった。
 維新前から内裏修理に従事し、焼失した泉涌寺の霊明殿の再建にあたった大工棟梁の木子清敬は、再建霊明殿内部も全く同様の「内々陣、内陣、外陣」の三陣構造とした。
 内々陣の五間の厨子には四条天皇ら歴代天皇の尊牌、尊像や皇后、門跡親王の尊牌などが奉安され「仏堂というよりも祠廟」(石野浩司)といった趣だという。
 賢所や「神殿」(もとの八神殿)が律令制の時代に淵源するのとは違い、歴代天皇の神霊を一カ所に集め並べて奉安する施設は、明治維新まで存在しなかったとされる。
 平安時代以降の天皇・皇族方の法要は各菩提寺で命日に行われていたが、明治の神仏分離によって神道式の祖先祭祀を行うための「皇霊殿」が神祇官に設けられた。御黒戸の廃止と歴代尊牌の泉涌寺霊明殿への結集が行われる過程で、対応する「皇霊」とその祭祀という神式祖先祭祀が創始された。儒教の「宗廟」と同様のかたちで・・・

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