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連載

あるコスモポリタンの憂国 連載40

ワーグナーの楽劇とひとつの現代
紺野 大介(清華大学招聘教授)

2010年5月号

 ドイツ・フランクフルトの中心市街地ハウプトバッハ近くにあるオペラ座。ここはワーグナーの音楽の洗礼を最初に受けた所でもある。日本初の人工衛星が成功した頃。当時の運輸省日本人海外旅行白書によれば、年間延べ約二十万人。やや乱暴な計算をすれば、人口約一億人で外交官や商社マンの年間出張回数を二回と仮定すると、日本人千人に一人がやっと海外に行けた時代。一ドル=三百六十円の固定相場であり、欧米等の出張には羽田の国際線にのぼりが立っていた。
 銀座四丁目のような繁華街ハウプトバッハでも、日本人を見かけなかったものである。その日は稀代のワーグナー歌手・ソプラノのビルギット・ニルソンが、オペラではなく、オーケストラをバックにワーグナーを謳うガラコンサートのようであった。ワーグナーといえば、今でこそ“楽劇王”との冠の下、本拠地バイロイトへの観劇ツアーの盛況などが喧伝されている。しかし当時の日本、バッハやベートーヴェンはともかく、多くはワーグナーの名前さえ知らなかったのを思い出す。オペラという音楽芸術への馴染みがなかった時代であり、我国に“オペラ座”・・・