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連載

追想 バテレンの世紀 連載51

キリシタンたちへの秀吉の寵愛
渡辺 京二

2010年6月号

 ヴァリニャーノと少年使節が長崎を発った四カ月あと、宣教師たちの変らぬ庇護者だった信長が本能寺の変で斃れた(天正一〇年六月一日、一五八二年六月二〇日)。
 安土にいたオルガンティーノは凶変を聞くと、神学校の生徒ともども、琵琶湖中の沖の島に避難した。当時の日本人は騒乱の際には、武士から庶民に至るまで掠奪に走るのを常としたから、宣教師たちは街中で暴徒に囲まれて衣服を剥がれた。
 島に逃れてみると、乗って来たのは何と海賊船で、オルガンティーノは銀を出せと脅迫された。海賊といっても、彼らは湖畔集落の住人で、日頃琵琶湖水面の交通を支配し、通行料を徴発するのはむろんのこと、時に応じて掠奪も行っていたのだ。
 オルガンティーノはかなりの銀を携えていたが、巧みにそれを隠匿し、やがて安土に残っていた日本人修道士がよこした舟で、やっと虎口を脱することができた。この間、安土の修道院と神学校は柱と屋根を残して、すべてが掠奪され尽くした。
 オルガンティーノ一行は何とか京都の教会へ到着した。都の教会は本能寺からわずか一区街を距てたところにあったので、カリオン司祭たちは事変・・・