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連載

むかし女ありけり120

再生
福本邦雄

2010年8月号

着なれたる紅裏とりて白絹にかへんと思ひゐたりこの春 川端千枝

 夫に先立たれ呆然としていた千枝は短歌に出会ったことで、新しい人生を得たかのように輝きだした。
 白日社の社友となり、いまや師と仰ぐようになった前田夕暮の歌集をむさぼるように読み、他にも文芸書や翻訳小説を手当たり次第手にとった。千枝は、まるで砂漠が水を吸い込むようにこれらを堪能し、そのことに無上の幸せを感じていた。
 淡路の静かで平和な一農村に千枝の家はあった。小地主の構えでそれほど広壮ではないが、庭には四季折々の美しい花が咲き乱れ、初夏には桃の実、秋には鳴門みかんがたわわに実った。
 その家に、社友たちが次々と訪ねてきた。千枝の鄙にはまれな美貌が文学青年たちの憧れの的となり、彼らは離れ座敷にある千枝の書斎にたむろしてはランプの下、夜が更けるまで文学や詩歌について談笑してなかなか帰ろうとしなかった。特に千枝に作歌を勧め白日社に誘った青年、清水白花は、激励の意味もあって頻繁に訪ねてきた。
 やがてこの白花と、彼の友人でやはり白日社の社友であった田中百夜という青年が、・・・