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連載

むかし女ありけり122

邂逅
福本邦雄

2010年10月号

秋立つときくからに心すがすがし吾踏む舞台にわく風のあり 藤蔭静枝

 結婚の夢破れ帰郷した静枝であるが、傷ついた心を抱えて、もはや以前のように庄内屋で客の機嫌を取り結ぶために歌ったり踊ったりする気持ちには到底なれなかった。それに東京には新しい自由な世界があることを知ってしまった今となってはなおさらである。
 ここで静枝の頭に浮かんだのが、数年前新潟に巡業してきた女役者・市川粂八のことであった。彼女の踊った「道成寺」にすっかり魂を奪われたことを鮮明に覚えていた。
 この女役者の前身は、江戸城の大奥の御殿女中のなぐさめに演じていた狂言師であった。それが幕府瓦解のあと、町方へ下って女役者となったものだが、堂々男役者に一歩も譲らないほどの技量を見せ、名優團十郎も「ああ、粂八が男だったらなあ」とその芸を讃えたほどであったという。すでにその名は天下に轟きわたっていた。静枝はこの粂八を頼って上京し、いずれは女役者として名をあげたい、と考えたのだ。
 思い立ったら即行動に移す性分であった静枝は、養家に縁を切ってもらうや上京し、粂八を訪ねてその内弟子とな・・・