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連載

追想 バテレンの世紀 連載58

不徹底なキリシタン抑圧
渡辺 京二

2011年1月号

 追放令が出されたあと、都や大坂の教会堂と修院は閉鎖はされはしたものの、建物自体が破却されたわけではなかった。また、長崎も収公されはしても、乗りこんだ役人の司祭たちへの態度は穏やかで、教会堂を汚すこともなく、ただ閉鎖されるだけで満足した。
 秀吉の心境が和らいだと思われる情報も届いた。彼は小西立佐(行長の父)がキリシタンだと承知しながら、依然として側近で重用していた。
 あるとき彼は立佐に「バテレンたちはもう立ち去ったか」と尋ねた。立佐が船がまだ出帆しないのでとどまっているだろうと答えると「ロレンソも行くのか」とさらに訊く。立佐が彼の心を計りかねつつ、老齢なので日本に残留するだろうと言うと、秀吉は静かに「そうであろう」と肯いた。彼はこの雄弁で善良な日本人修道士に愛情を抱いていたのだ。
 またある日、彼は身辺に侍する者たちに、「右近はどうしたか」と尋ねた。消息が知れない以上、どこか無人島にでも行ったのだろうと答えると、「予はそれほどにしろとは言っていない。どこかで生きていたらいいのだ」という言葉が返ってきた。
 司祭たちはこういった秀吉の言動を、一・・・