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社会・文化

国の避難命令に「殺された」福島県民

原発事故の常識を覆す「教訓」

2012年10月号

「本当に避難しなければならなかったのか」。福島県では、原発事故後の住民避難の在り方について、俄かに批判が巻き起こっている。  きっかけは、相馬市が玉野地区の住民の健康診断の結果を公表したことだ。玉野地区とは阿武隈高地に位置する限界集落である。南は飯舘村に接し、この地域の空間線量の平均は現在でも毎時一・六マイクロシーベルトである。全村避難となった飯舘村と遜色ない。  ところが、この地区の住民は避難しなかった。「もし逃げたら、故郷がなくなる」(玉野地区の住民)と考え、住民が相談して、地元に留まった。この結果、玉野地区は、福島県内で住民が日常生活を続けている地区としては、もっとも放射線量が高い地域となった。  地区に留まった住民を、全国の専門家集団が支援した。例えば、東京農業大学のグループは、玉野地区の農地や農作物の放射線量を継続的に測定し、その結果を住民に伝えた。住民は「田んぼはやめたが、自分の畑で作ったものは(放射線をチェックした後に)食べている」という。震災前と、食生活を大きく変えることはなかった。  震災後、東京大学や九州大学の医師たちが同地域に入り、放射線に・・・