三万人のための情報誌 選択出版

書店では手に入らない、月刊総合情報誌会員だけが読める月間総合情報誌

連載

皇室の風89

「屍を曝すは固より覚悟なり」
岩井克己

2016年1月号

「御寺」と呼ばれ皇室の菩提寺として知られる京都市東山区の泉涌寺と、隣接する宮内庁の月輪陵墓地の見学の機会を得たことがある。ある年、宮内記者会が京都の皇室関連施設の取材を要望し、宮内庁と同寺も応じてくれたのだが、強く印象に残ったのは月輪陵墓地だった。

 寺域だった墓地が明治の神仏分離で切り離され宮内庁書陵部の管理下にある。そのこと自体が国家神道体制に向かう明治の近代史の歴然たる痕跡でもある。

 東山連峰の南端の月輪山の山すそ。頑丈な塀に囲まれた同陵墓地には、普段は一般の人はもちろん報道陣も立ち入れない。塀の外側に掲げられた宮内庁の「制札」(立て札)にぎっしり墨書された陵墓名の数だけで圧倒される。兆域に入ると、さほど広くもない敷地に、高さ五メートルほどの仏式の九重石塔などの石塔が所狭しと林立している。墓標の九重石塔ひとつひとつが天皇の陵であり、その周りに妃や皇族を葬った小ぶりの宝篋印塔が隙間なく並ぶ。類例ない異様な迫力に若い記者たちも気圧されて立ちすくみ、無言で見まわしたものだった。

 北朝第四代の後光厳天皇から幕末の仁孝天・・・