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連載

皇室の風 第135話

新嘗と大嘗と皇族
岩井 克己

2019年11月号

 敗戦から間もない昭和二十六(一九五一)年四月三日、東京都世田谷区成城の柳田國男宅に突然の来客があった。昭和天皇の末弟・三笠宮崇仁親王(当時三五歳)だった。
 驚く柳田に三笠宮は「都立大学で新嘗のお話をしてほしい」と来意を告げた。
 柳田は「殿下がこの問題をとり上げて下さり、日本の為、これほどうれしいことはございません」と喜んだという。
 それぞれが、日本の惨たんたる敗戦と、その精神的機軸の崩壊からの再建の足がかりを求めて古来の国民民俗を見直そうとしていた。
 以来、「殿下の会」と呼ばれた「にひなめ研究会」では、柳田、折口信夫という日本民俗学界の双璧をはじめ馬淵東一、肥後和男、三品彰英、大林太良といった錚々たる研究者らが新嘗をめぐって意見を交わした。往時のメンバーのほとんどが鬼籍に入ってからも後進に受け継がれ、半世紀を超えて研究成果を生み出し続けた。
 大戦中、支那派遣軍参謀として中国に赴任した三笠宮は、青年将校らが「兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突き刺させるに限る」と語るのに驚愕し、多数の中国人捕虜を毒ガスの生体実験に使う・・・