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経済

三井物産の泥沼「露LNG事業」

血税支援にすがる安永「無能経営」

2020年6月号公開

 三井物産社長の安永竜夫は、最後まで迷っていた。
「やはり、出さなければならないか……」
 五月一日、同社が発表した二〇一九年度決算(連結)は、石炭・石油・ガス開発の減損損失など七百五十億円の減益要因に見舞われ、純利益は前年度比五・五%減の三千九百十五億円にとどまった。五大商社の中では三菱商事、伊藤忠商事の後塵を拝す二年連続三位である。それより、貿易関係者が驚いたのは今年度の業績予想だった。
 一千八百億円―。油価暴落と新型コロナウイルス蔓延の逆風は、とりわけ三井物産に強く吹き、純利益は半減以下にしぼむ。在任六年目のトップ最後の年を迎えて、その公表を逡巡した安永の苦衷は容易に察せられる。産業界を見回せば、コロナ禍を理由に今年度の業績予想を「未定」としている上場企業は多い。しかし、公表しなければどうなるか―。おそらく資本市場は嵩にかかって資源ビジネスの脆弱性を喧伝し、株価は一段と下がるに違いない。
 それでなくても、油価暴落後の三井物産株の下げ足は速く、四月下旬の時点で五大商社の株価は、二千円台の一軍(商事、伊藤忠)、一千五百円未満の二軍(物産、住友商事)、五百円前後の三軍(丸紅)という序列が定着していた。ある貿易関係者は指摘する。
「今年度の物産は新たな中期経営計画の策定の年に当たっていた。そうでなければ、安永さんは業績予想を出さなかっただろう」
 しかし、その新中計で三井物産が掲げた二二年度の純利益目標は四千億円。三年かけて原状回復を目指すにすぎず、比べて伊藤忠はすでに今年度、二〇・二%減益ながら四千億円の純利益を見込んでいるのだ。新中計は「もはや総合商社二位には返り咲けない」と白旗を上げたに等しい。いや、それどころか、安永には住友商事にも抜かれるミゼラブルな末路が待ち受けているかもしれない。
 実は安永が業績予想の公表を迷っていた頃、経済産業省はある法案の国会審議の準備を急いでいた。

経産省の姑息な三井物産“救済”

「これは、かつての石油公団の復活だ。原油価格がマイナス相場になるほど資源ビジネスの環境変化が起きているときに、まったく時宜に合わない」
 ある野党関係者がこう指弾するのは、石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)の設置法改正案である。経産省所管のこの独立行政法人は、国費による資源開発へのリスクマネー供給を司る機関であり、前身の石油公団の時代から様々な政治色に彩られてきた。が、今回のJOGMEC法改正案はメディアはおろか、産業界にもほとんど知られていない。
 なぜなら、経産省は同法案を他の二本の法案と束ねて「エネルギー供給強靱化法案」とし、三本一括で審議を進めようとしているからだ。他の二本は、電力系統の配電網の独立運用を可能にする「電気事業法」改正案と、太陽光や風力など再生可能エネルギーの普及に市場原理を導入する「再エネ特措法」改正案であり、いずれも電力の安定供給と温暖化対策を両立させる法案である。
 その陰に隠れて、JOGMEC法をこっそり改正する理由は何か―。「単独審議では、とても今国会で成立しないから……」と、経産省幹部の一人は打ち明けた。改正の狙いは、カムチャツカ半島にロシア産LNG(液化天然ガス)の積替ターミナルを建造すること。いや、はっきり言えば、国のエネルギー政策に協力する三井物産の救済にほかならない。
「アークティック2」―。昨年六月のG20大阪サミットの際、安永は来日したロシアのガス大手ノバテクのCEO、レオニード・ミケルソンと握手し、同社が北極圏ギダン半島に計画する巨大LNGプロジェクトへ一〇%参画することに合意した。この契約はJOGMECの手厚い資金支援があって初めて可能だったと言っていい。
 出資分だけで四千億円規模と巨額に上るが、三井物産の負担は約一千億円、残る七五%の三千億円近くをJOGMECが賄った。国費による持ち分は、二三年に年産二千万トンのLNG基地が稼働し、キャッシュを生み出し始めたら、三井物産が順次買い取ることになっている。そのためにも不可欠なのが積替ターミナルなのだ。
 アーク2の百万BTU(英国熱量単位)当たり輸出コストは、生産費〇・六ドル、液化費一ドル、合計一・六ドルと極めて安い。しかし、その開発鉱区は氷に閉ざされた西シベリアの北の果てにある。アジア向けの北極海東回り航路は夏場の五カ月しか開通しない。夏場もアジアとギダン半島を燃費の悪い砕氷タンカーで往復していては、輸送費がかさんでLNGの競争力は霧消する。三井物産は商売にならないのだ。
 そこで計画されたのが、中間地点のカムチャツカ半島ベチェヴィンスカヤ湾に浮かべる積替ターミナルである。一定量のLNGを貯蔵しておき、それを“FOB(本船渡し)ベチェヴィンスカヤ”で受け取り、アジアまで安価かつ通年の輸送を実現できるか否かにアーク2の成否はかかる。
 計画によれば、容量三十六万立方メートルの浮体式貯蔵設備(FSU)二隻で構成される積替ターミナルの建造費は約一千億円。JOGMEC法改正の暁にはそこへ国費が投入される。しかし……。

積替ターミナルめぐる恫喝と不安

「積替ターミナルはつまり、倉庫だろ。手数料ビジネスの倉庫業にリスクマネーを供給する大義がどこにあるんだ!」
 前出の野党関係者の義憤は募る。JOGMECの使命は本来、エネルギー安全保障の国策の下、市場原理に馴染まない資源開発のリスクを血税によって補完することにある。が、それは拡大解釈され、なし崩し的に政治利用されてきた。
 一六年の設置法改正では開発案件への資金支援だけでなく、海外の資源企業のM&Aが可能になった。実体はロシアの財政難を踏まえ、石油最大手の国営ロスネフチに一兆円資金注入することが目的であり、実現はしなかったものの、北方領土返還の手付金にJOGMECは利用されかけたのだ。
 ロシアへ秋波を送る首相・安倍晋三の虚仮の一念、その脈略の中に今回の積替ターミナルをめぐるJOGMEC法の姑息な改正もある。それも宜なるかな、事業スキームに関わる三井物産、商船三井からは悲鳴が聞こえてくる。
「ミケルソンは矢の催促だ。五月中にFSUの建造契約を結べ、アーク2の出荷開始に間に合わせろと、プレッシャーは強まるばかり」
 FSUの建造は一隻三年を要する。二三年のLNG基地稼働までの余裕はほとんどない。早々に操業主体の設立など事業スキームを確定しなければならず、だからこそ経産省は三本一括の束ね法案にしてでも、今国会でのJOGMEC法改正を急いでいるのだ。が、同省にも不安の声はある。
 予定地のベチェヴィンスカヤ湾は、ロシア太平洋艦隊の原潜基地から五十キロしか離れていない。「そんなところに積替ターミナルを建造して、米国の神経を逆なでしないか」という危惧は小さくない。三井物産はまさしく危ない橋を渡ろうとしているのだ。

「あと一年我慢するしかない」

 三井物産のアーク2参画が決まった昨年六月当時、アジア向けのLNGスポット価格は百万BTU当たり五ドル近かった。それが今や、空前の油価暴落を受けて二ドル台。欧州向けに至っては一・五ドル以下に下落している。北極圏LNGは競争力に優れるとはいえ、さすがに打撃は大きい。
 ノバテクは、アーク2に先行して稼働した「ヤマル」のLNGを欧州へ出荷しているが、原油価格の変動影響を緩和する、いわゆる「Sカーブ」条項があっても、原価割れとみられる。ミケルソンが情緒不安定になるのも当然だろう。少しでも有利なアジアへ出荷しようと積替ターミナルの建造にプレッシャーをかけているのだ。
「いや、脅しはミケルソンの常套手段。提携相手国を天秤に掛けてのし上がってきた男だ」
 あるロシア通はこう言い放った。ほぼ一年前、アーク2参画の権益交渉の際も、ミケルソンは「中国、サウジアラビアから好条件のビットが来ている。日本人に用はない」と三井物産を揺さぶり、同社は堪えきれず高値づかみの出資に飛びついた。今回の積替ターミナルも同じだろう。いや、むしろ三井物産の立場は弱くなっている。
 というのも、同社のアーク2の権益比率は一〇%。LNG引取量も全体の十分の一の二百万トンにとどまる。これに対し、中国勢は中国石油天然気集団(CNPC)が一〇%、中国海洋石油集団(CNOOC)も一〇%と二倍の水準。CNPCはヤマルの権益も二〇%保有しており、北極圏LNGにおける存在感が違うのだ。
 ミケルソンが万一、日本を見限り、中国勢と積替ターミナルを建造したらどうなるか―。三井物産はベチェヴィンスカヤ湾を使えず、迂遠な北極海東回り航路へ追いやられるだろう。そのとき、アーク2は三井物産の時限爆弾となりかねない。LNGスポット価格の長期低迷は、進行中のモザンビークLNGの採算も悪化させ、アーク2とともにエネルギー部門の減損リスクを高める。
 一千八百億円の純利益計画はなお下振れ懸念があるのだ。今年度の業績予想を公表しなかった住友商事は今、万年三位商社の背中を窺っていることだろう。
「挑戦と創造」のDNA―。安永は社長就任時から三井物産創業の原点をこう語り、「未踏の地を切り拓くジャングルガイドになれ!」と社員を鼓舞してきた。それは新中計の発表会見でも繰り返されたが、役所頼みのアーク2の体たらくをみれば、DNAの損傷を疑いたくなる。社内の閉塞感は募る。
「社長は最後の年の今年度は経団連副会長にも就き、メディアへの露出を増やすらしい。あと一年我慢するしかない」
 一年後、零落の三井物産は何位につけているだろうか。(敬称略)


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