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連載

本に遇う 第260話

戦争とは何だったか
河谷 史夫

2021年8月号

 今や見る影もないが、最高百五十三万部という「週刊朝日」の黄金時代を作ったのが扇谷正造である。「文藝春秋」の池島信平、「暮しの手帖」の花森安治と並んで雑誌界の三羽烏と謳われた。
 新人を鍛え上げることすこぶる苛烈で「鬼軍曹」に擬せられたけれど、ご本人の兵隊の位は一等兵であった。一兵卒で体験した軍隊は、従軍記者として見たのとは大違いなのに気づいたとある。
 旧制二高から東大国史科を出て朝日新聞入社。青森、仙台から本社の社会部に上がった一九三七年に対中戦争が始まる。翌年の漢口攻略戦と太平洋戦争に拡大した四一年の比島攻略戦の二回、従軍を命じられて前線へ赴く。まだ二十代で意気盛んだった。帰社後、「扇谷従軍特派員」の記事に惹かれたらしい女性から婉曲に交際を申し込まれたりしている。
 戦局悪化する四四年、徴兵検査丙種合格で三十歳を越えた扇谷にも赤紙が来た。入営先は歩兵第四聯隊(仙台)。「私は人並に勇ましく、だけど奉公袋には三年分のシャープのシンとシャープペンシルをいれて、応召した」。補充兵はすぐ中国の前線に送られた。
「陸軍一等兵としての二年間の生活は、余り・・・

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