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連載

本に遇う 第265話

生きて恋して書いて
河谷 史夫

2022年1月号

 寂聴尼僧との「御縁」は一度、四半世紀前のことになる。
 朝日新聞に「対論」という欄があった。二人に一つの主題を縦横に語り合ってもらおうという趣旨で、立案、招聘、司会、構成を一人で担当するのだが、それに管野須賀子や伊藤野枝といった「大逆者」を小説に仕立てた寂聴と、全共闘世代の歌人で〈ガス弾の匂い残れる黒髪を洗い梳かして君に逢いにゆく〉の道浦母都子の組み合わせを企てたのである。
「来ていただけませんか」と京都の寂庵に依頼したら二つ返事で承諾してくれた。一九九六年、寂聴著『わたしの樋口一葉』が出たときで、題目は一葉にした。縮刷版を繰ってみると、一葉命日の十一月二十三日の社説対向面に「没後百年 樋口一葉を語る」という「対論」が掲載されている。
 佳人薄命の見本のごとき一葉の「病弱で、貧乏で、夭折して結婚もせず、可哀想」というイメージを覆して、彼女は幸せ者、なぜならば「天才でありながら、いかに自分が認められたかを見て死んでいます」と寂聴は言い切り、「生きていればもっといい作品を書いたろうと言いますが、私はそうは思わない」と確言するのである。
 日記から浮・・・