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連載

本に遇う 第269話

メルケルとプーチン
河谷史夫

2022年5月号

 ウクライナ戦争、と言っても二〇一四年のときだが、事態を収めるべく「嘘つき」プーチンと渡り合ったのはドイツの首相メルケルであった。そのことが、評伝『メルケル』に出てくる。今年再び侵略に動いた独裁者に、西欧の首脳が入れ代わり立ち代わり働きかけたが無益だった様を見るにつけ、メルケルの不在が痛感される。
 八年前のメルケルは、毎日のようにプーチンに連絡を取り、三十八回の会談を重ねた。「極悪非道でまったく正当化できない」と考える戦争を何とか終わらせるには、「被害妄想家」を現実に引き戻すしかないと心に決めていた。
 二人の会話はいつもロシア語で始まる。東ドイツ育ちの彼女は十五歳のときロシア語弁論大会で優勝したほどで言葉ができた。それでも細かい点は母語に切り替える。プーチンは子供のころからのスパイ志願で、国家保安委員会(KGB)に入り、ドレスデン駐在の工作員を五年務めたからドイツ語には堪能だ。彼女はわざと、二人称に他人行儀なSieではなく親しげでくだけたDuを使い、「あんたは国際法を公然と無視している」と言ったりした。
 軍事侵攻という行動に出るや、プーチンは「山のよ・・・