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経済

東京ガスの果てなき「内部抗争」

「経営迷走」新社長の暗い船出

2023年2月号公開

 終値二千四百四十二円―。一月四日大発会での株価下落スタートは、東京ガスの不透明な将来の暗示に違いない。証券市場の失望は大きい。
「さすが東ガス、と期待していたのに、“ポートフォリオ型経営”の正体はこれか!」
 奇しくも大発会当日、外国通信社が東ガスの大型ディールを報じていた。米国の天然ガス開発会社、ロッククリフ・エナジー(テキサス州)を、エネルギー専門の米投資ファンドから買収する交渉を進めているというのだ。買収価額は実に四十六億ドル(約六千億円)。東ガスは複数の融資先から資金を手配中という。市場はこれを嫌気し、東ガス株は昨年末終値から五・五%下げたのである。
 期待は膨らんでいた。というのも、東ガスは昨年十月、保有する豪州のLNG(液化天然ガス)上流権益四件の売却を発表。早ければ今年度中にも得る二十一・五億ドル(約二千八百億円)のキャッシュを、将来の成長事業へ再投資すると表明していたからだ。
 売却四件には、経済産業省が支援するイクシスLNGも含まれる。通常、国策プロジェクトの売却はあり得ない。その決断は、いわば退路を断つ果敢な行動と評価され、「さすが東ガス」と再投資先を注目されていたのだ。脱炭素燃料の水素か、アンモニアか、あるいは再生可能エネルギーへの新機軸の投資か……、さまざまに観測されたが、種明かしされてみれば米国のシェールガス。非在来型ガスとはいえ、化石燃料である。あるエネルギー関係者がつぶやいた。
「化石燃料から化石燃料への資産の入れ替えは、笹山さんのビジョンに入っていることなのか。重い置き土産を授けられたものだ」
 笹山晋一氏―。実は東ガス次期社長が、四月の就任に向けて掲げた課題がポートフォリオ型経営なのである。つまり、既存の都市ガス・電気事業から脱炭素に向けた成長事業へ経営資源を組み替えるということだ。が、そこには歴代社長の路線対立が絡んでおり、東ガスの迷走を浮き彫りにする。

広瀬と内田の間に燻る軋轢

「振り返れば、東ガスの社長レースは一年前に勝負がついていたということだな」
 昨年十二月、笹山副社長の社長昇格が発表されると、ガス業界の一部ではこんな囁きが交わされた。
 東京大学工学部卒業の笹山氏は、企画部門が保守本流の東ガスにあっては戦後初の理系トップ。しかし、技術者の印象は薄い。営業部門でマーケティングやサービス開発に長く携わり、後に総合企画部へ転じて経営戦略を練ってきた。二〇一六年の電力全面自由化では料金メニューや営業体制を整備し、新電力首位の三百万件超の顧客獲得に貢献した立役者でもある。将来の社長昇格は確実だったが、それはもう少し先のことと観測されてきた。三年上の年次に沢田聡副社長がいたからだ。
 沢田氏は、広瀬道明会長の腹心として知られる。いずれも労働組合書記長の経験者であり、互いに組合活動の禍福を分かち合ってきた間柄だ。が、経営実務において沢田氏は笹山氏には及ばない。それを補うため、広瀬氏は経産省の電力・ガス事業部長を務めた糟谷敏秀・元特許庁長官を参謀役にスカウトし、沢田社長、次いで笹山社長の人事構想を描いていた。これを嫌ったのが内田高史社長だ。
 昨年四月、四年の社長任期を終えるはずだった内田氏は異例の続投を強行、しかも、CEO(最高経営責任者)の肩書をまとったのである。内田氏が人事権を掌握した時点で、沢田氏の社長の芽は摘まれていたと言っていい。背景にあるのは、東ガスの会長と社長の間に燻ぶる軋轢である。
「八ヶ岳経営」―。広瀬氏の社長時代を振り返れば、こう呼ばれた拡大路線に尽きる。二〇二〇年代に五百万キロワットの自社電源稼働を掲げ、東北電力、九州電力と提携関係を保ち、電気事業の関東圏外への進出にも意欲をみせた。ガス事業では国内導管網の拡大、海外ではシェールガスを含む資源開発への参画を唱え、米国ヒューストンの現地法人も拡充した。
 ところが、内田氏が社長に就くと、八ヶ岳経営はことごとく撤回される。競合する東京電力-中部電力-大阪ガスが“東ガス包囲網”の形成に動く中、金城湯池の関東圏を堅守する姿勢へ転じたのだ。代わって打ち出されたのは、将来性も定かではない国内外の再エネ事業への積極投資である。ある電力会社の幹部が指摘した。
「内田さんの経営をひと言でいえば、脱炭素投資のために余計な支出を避け、関東圏に閉じ籠るということ。しかし、その結果は東ガスのさらなる孤立だ」
 昨年十二月、東北電との折半出資の新電力、シナジアパワーが東京地裁へ自己破産を申請した。卸電力価格の高騰による逆ざや販売が続き、債務超過を解消できなかった結果だが、東ガスが積極的に支援した形跡はみられない。それに先立つ同六月には、九電と進めていた袖ケ浦火力発電所(千葉)の建設から同社が撤退している。
 同火力は当初の石炭からLNGへ燃料転換し、それでも、ノリ養殖などへの悪影響を怖れる漁業者の強い反発を受け、地元合意が難航している電源。東ガスはやむなくタービン蒸気の復水器を水冷方式から空冷方式へ変更するが、九電の池辺和弘社長は「空冷ねぇ」と高コスト設備を疑問視していた。その口吻には「東ガスは袖ケ浦市にLNG基地を立地しているのに、何を手間取っているんだ」という地元対策への不満が滲む。
 事態は、ウクライナ危機後の燃料価格の高騰を受け、内田氏の自社電源に対する熱意が低下している証左だろう。広瀬氏が掲げた五百万キロワットは画餅に終わる。

高値買収先に「座礁資産化」の危惧

 その内田氏が一転、シェールガスの大型ディールに前のめりになった理由は何なのか―。ロッククリフの買収に当たるTGナチュラル・リソーシズは本来、広瀬社長時代に資本参加した米国の資源開発会社である。内田氏には“負の遺産”とも言えるが、東ガス周辺からはこんな声が上がる。
「ウクライナ危機が契機であることは間違いない。米国のシェールガス開発は儲かり始めていた」
 背景にあるのは、バイデン政権が推進する米国産LNGの欧州輸出の拡大である。ロシアからの天然ガス供給が激減した欧州は、今や米国にとってLNGのフロンティア市場。すでにシェールガスの新規プロジェクトが相次ぎ始動しているが、内田氏はその空前の商機を見据え、乾坤一擲の賭けに出たということだろう。
 ロッククリフの生産量は日量十億立方フィート(LNG換算=年七百七十万トン)を超える。約六千億円の買収価額には同社の負債が含まれており、その比率を仮に半分とすると、東ガスのキャッシュアウトは三千億円規模。昨年十月に発表した豪州のLNG上流権益の売却収入(約二千八百億円)にほぼ合致する。
 しかし、事態の推移からみて買収交渉が始まったのは昨年夏だろう。だとすれば、高値掴みの怖れを否めない。当時の欧州はガス不足が深刻化し、オランダの天然ガス市場TTFは百万Btu(英国熱量単位)当たり七十ドル台へ暴騰、連動して米国の指標価格ヘンリーハブも十ドル超のピーク値に達していた。が、すでに米国相場は四~五ドルへ沈静化している。
 米国に液化設備をもたない東ガスは、ロッククリフを買収しても、それだけではLNG輸出の荒稼ぎはできない。原料ガスを米国相場で売るしかないが、万一、ウクライナでの戦闘が予想外に早く停戦したらどうなるか―。ドイツ、フランスなどロシアに融和的な国のガス不足は一服し、米国相場は再び低迷するだろう。前出のエネルギー関係者が続けた。
「下手をすると、ロッククリフは座礁資産化する。そんなディールのために、東ガスは最もカントリーリスクが少ない豪州のLNG上流権益を売ろうとしている」

“眠り口銭”に浮かれる危うさ

 東ガスの連結業績は外形的には好調だ。今年度の経常利益見通しを一千六百億円と期初から三百三十億円上方修正した。修正額のうち約半分の百六十億円を占めるのが海外事業、すなわち、豪州産LNGの高騰と円安効果による権益寄与であることを思えば、その売却を疑問視する声は少なくない。それ以上に不安なのは本業である都市ガスの利益構造だ。
 都市ガス料金は、LNGの日本入着平均価格(JLC)を最長五カ月後に反映させる原料費調整制度で決まるが、割安な長期契約で調達している東ガスのLNG仕入れコストはJLCと乖離がある。今年度のようにスポット価格が暴騰したときは大きな差益が生まれるのだ。一方で原調制度の期ずれ損も発生するが、LNGの差益と期ずれ損の収支は今年度二百三十五億円のプラス見通し。これが通称「J-T差」と呼ばれる東ガスの利益の源泉である。
 万一、LNGの高騰に伴って“眠り口銭”のように入ってくるJ-T差に気をよくし、内田氏がロッククリフの買収に動いたとしたら、東ガスの将来は危うい。安価な液化委託先や将来のブルー水素製造につなげる構想がなければ、六千億円規模の投資はとてもペイしないだろう。それは、すべて次期社長・笹山氏のポートフォリオ型経営に委ねられることになる。
「彼はキャディの言うことは一切聞かない。とにかく大振りで飛ばそうとする。本性はトップダウンの専断家ではないか」
 笹山氏のゴルフ仲間からはこんな人物像が聞こえてくる。堅実な手腕、敵をつくらない気配り……、笹山氏がこれまで見せてきたのはトップに仕える“能吏”の顔だ。容易に本音を明かさず、過去、石炭火力への進出やLNG基地の開放に反対するなど保守的なイメージも付きまとう。しかし、それでは東ガスはかつての株価三千円超を回復できないだろう。
 過去の路線対立の迷走を乗り越え、独自のビジョンを示せるか―。笹山東ガスは、まさしく
〝ロッククリフ(崖っぷち)〟から始動する。


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