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経済

東京ガス「株価凋落」の無能経営

大阪ガスに「完敗」の衝撃

2021年6月号公開

 渋沢栄一ブームである。二〇二四年発行の新一万円札の顔となり、NHK大河ドラマの主人公にも採り上げられ、書店では著書『論語と算盤』が売れているという。
 渋沢が設立した五百社近い企業の中でも、その“公益追求”の志を最も濃密に受け継いでいるのは東京ガスだろう。しかし、同社の内田高史社長が四月二十八日、二〇年度決算の説明会で語った方針を、泉下の創業者が聞いたらどう思うか―。
「三〇年度二千億円の利益目標の旗は降ろさない。しかし、キャッシュ配分は変えざるを得ない」
 意味するところは自社株買いの凍結。かつては年四百億円も行っていた株主還元手段をやめるというのだ。代わって本格化するのは、海外を軸とした再生可能エネルギー投資である。内田氏は期間利益を「脱炭素」へ重点配分することが“公益追求”に適い、長い目でみれば株主還元にもつながると主張するが、本当にそうか。
 奇しくも前日、大阪ガスが発表した二〇年度決算は経常利益一千二百七十七億円(前期比四八%増)と躍進、七百五億円(同三一%減)の東ガスは大差で逆転された。その衝撃は大きく、取締役会でも議論になったという。ある東ガス関係者は怨嗟の声を上げた。
「社長は株主還元を見直すなどと馬鹿正直に言う必要はない。株価は脱炭素を好感されるどころか、下落の一方だ」

崩れた「高還元銘柄」伝説

 総還元性向六〇%―。東ガスは〇六年以来、この方針を堅持し、代表的な高還元銘柄として知られる。方針を打ち出したのは、後に〝伝説のCFO(最高財務責任者)〟と呼ばれた当時の吉野和雄・執行役員財務部長。年八円へ増配(現行六十円)し、三〇%の配当性向を保ち、残り三〇%は積極的に自社株買いを進めた。
 〇六年は村上ファンド騒動がようやく終息し、アクティビストが蛇蝎のごとく嫌われる中で、「会社は誰のものか」と議論されていた時代である。その頃にいち早く総還元性向六〇%を表明した東ガスは、マネジメント・クオリティの高い会社と評価されてきた。比べて当時の大ガスは配当性向三〇%が精一杯。「東ガスを見習え」という資本市場の声に、大ガスはこう反論していた。
「近畿圏は首都圏と事情が違う」
 なるほど、一極集中の首都圏は今なおガス需要が伸びているが、近畿圏は頭打ち。その限られたパイをめぐり、大ガスは関西電力と熾烈な争奪戦を展開しており、とても東ガスのような株主還元はできない。活路のひとつが海外投資だった。早くからガス田・LNG(液化天然ガス)開発、発電事業などに投資してきたが、前期にそれが花開いた。
 米国のフリーポートLNG基地から日本へのLNG出荷がパナマ運河の渋滞で遅れ、やむなく米国向けに販売したところ、大寒波が襲来し大儲け、持分法投資利益が二・六倍に膨らんだのだ。これが東ガスを大差で逆転した要因である。証券関係者が指摘した。
「大ガスの増益は“怪我の功名”とはいえ、LNG基地の液化権利を取得していたからこそ巡ってきた僥倖だ。比べて東ガスは過去の海外投資をみても戦略性に乏しい。唐突な総還元性向の見直し発言は違和感があった」
 二〇五〇年に二酸化炭素(CO2)排出実質ゼロ―。事の発端は一九年十一月、東ガスが脱炭素に向けた中長期経営計画を発表したことに始まる。菅義偉首相の脱炭素宣言より一年近く早い。しかし、世間の反応は鈍く、むしろ、内田氏が「六〇%(総還元性向)を見直そうと思っている」とポツリと漏らしたひと言に、資本市場は神経質になった。その後、東ガスの再エネ関連投資は相次ぐ。
 洋上風力の米技術会社への出資、米国の大規模メガソーラー事業や、富山県・千葉県の木質バイオマス発電事業の取得、英IT会社との再エネ販売提携……。しかし、中長計画の発表時に二千八百円近かった東ガスの株価は今や二千二百円台。二〇%下落しているのだ。
 原価主義料金で首都圏の顧客から得たキャッシュを、海外を軸とした再エネ投資に回すことが〝公益追求〟の志なのか―。再エネ以外でも過去、米国のシェールガス開発や豪州のLNG生産に投資してきたが、減損の嵐である。

大ガスに時価総額も抜かれる日

「自社株買いをやめるなら、その資金で北関東の中小都市ガス事業者を買収したらどうか。その方がよほど公益追求に適う」
 エネルギー業界の一部にはこんな声もある。東ガスは覇権主義と批判されることを怖れ、北関東のガス再編に二の足を踏んできたが、来年四月、ガス導管分離が断行される。東ガスは一小売会社として中小事業者と対話できるようになるのだ。子会社化しても、相手の経営陣やブランドは残し、緩やかなグループ化によって顧客基盤が手に入るなら、再エネ投資より意義は大きいだろう。
 もっとも、現状は買収など望むべくもない。天然ガスの卸供給先である京葉ガスは、東ガスと東京電力を天秤にかけており、静岡ガスは東ガスが大株主にもかかわらず、中部電力へ傾斜している。東邦ガスに至っては、かつて広瀬道明・東ガス社長(現会長)が「提携もあり得る」と語っただけで強く反発した。東ガスはなぜ孤立するのか―。
 渋沢栄一が『論語と算盤』の中で、「か」の力より「と」の力の優位を唱えたことは知られている。つまり、「or」ではなく「and」であり、異質な存在を組み合わせると化学反応が起こり、思わぬ効用を生むことを説き、それを奨励した。東ガスは従来、金城湯池である首都圏の恵まれた環境に自足し、異質な存在と接する必要がなかった。歴代社長は岡本毅氏、広瀬氏、内田氏とも原料畑・企画畑、または組合幹部出身の怜悧な内務官僚である。これでは外部とのパイプは広がらない。
 しかし、そんなことを振り返っている余裕はないだろう。炎であるガスはCO2削減に限界がある。経済産業省のグリーン成長戦略をみても、重点四分野は洋上風力、燃料アンモニア、水素、原子力であり、LNGは入っていない。都市ガスは旧来型の〝化石産業〟であり、電化が進む脱炭素時代にあっては文字通り滅びていく産業なのだ。
「わが社がなすべきは“ガスも売る電力会社”へ脱皮すること。そのためにも、『と』の力が必要だ」
 前出の東ガス関係者の焦慮は募るが、経営陣にその兆しは見えない。自社株買いが凍結されれば、株価はさらに下がるだろう。現在、東ガスの時価総額は一兆円、大ガスは九千億円。これが逆転したとき、東ガスはようやく目覚めるのかもしれない。


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